西涼の錦として知られ、三国志演義では五虎将軍の一人として有名な馬超。
そして曹操の親衛隊隊長で虎痴の呼び名で有名な許チョ。
馬超と許褚は潼関の戦いで、出会うことになりますが、馬超が許チョにビビって居たのをご存知でしょうか。
今回は馬超が許チョにビビっていたお話を紹介したいと思います。
膠着する戦い
曹操は馬超と韓遂らが結託して反乱を起こしたことを知ると自ら軍勢を率いて出陣。この時、親衛隊隊長・許チョも曹操に従って出陣します。
曹操は馬超らと潼関付近で決戦。馬超率いる連合軍は曹操を追い詰めあと一歩で討ち取る所まで追いつめますが、許チョの機転により曹操を逃してしまいます。その後曹操軍と馬超・韓遂連合軍はお互い一歩も引かず、膠着状態へ突入。
曹操はこの膠着状態を打破するべく韓遂と馬超へ「一緒に話をして盛り上がろうじゃないか」と呼びかけます。すると馬超と韓遂は曹操の招きに応じて会談場所へと向かうことになります。
馬超のたくらみ
馬超は曹操と会談することが決定すると、当日自ら曹操に向かって一直線に走り、彼を討ち取ってしまおうと考えていました。しかし馬超のたくらみは外れてしまいます
許チョにビビってしまう馬超
曹操は親衛隊隊長の許チョだけ連れて会談場所へ向かいます。馬超は韓遂と一緒に会談場所へ到着。
馬超は曹操へ躍りかかって殺害しようとたくらんでいましたが、曹操の後ろにいる屈強な人物が気になり、一言曹操へ訪ねます。馬超は曹操へ「君の所には虎侯と呼ばれる屈強なボディーガードがいるようだが、今回は連れてきてないのか。」と尋ねます。
すると曹操は後ろに控えている人物に指を向けて「こいつがわしの虎侯じゃ」と紹介。許チョは馬に乗りながら馬超を凄い形相でにらみつけていました。馬超は許チョのとてつもない形相でにらんでいる彼の圧力にビビってしまい、曹操へ手を出すことができませんでした。
こうして三人は大した話をすることもなく、お互い分かれてしまうのでした。
しかし三国志演義では上記で紹介した正史三国志の内容と異なります。
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渾身の一騎打ちを繰り広げる馬超と許チョ
三国志演義の馬超は許チョと一騎打ちを繰り広げています。
潼関の戦いで馬超と許チョは戦場で出会い、一騎打ちが行われます。馬超は許チョとの一騎打ちで、あまりにも暑かったのか上半身裸になり一騎打ちを再開。
しかし二人の実力は伯仲しており、決着をつけることができず、撤退のどらが鳴らされ分かれてしまいます。
その後、馬超は韓遂と仲違した事がきっかけで、曹操軍に敗北することになり、一騎打ちの決着をつけることなく、二人とも亡くなってしまいます。
正史三国志では許チョの形相にビビってしまい、手が出せなかった馬超。
しかし三国志演義では勇猛果敢に許チョへ一騎打ちを行っている勇猛果敢な勇将として描かれています。
三国志演義の馬超と正史三国志の馬超を紹介しましたが、皆様はどちらの馬超がお好みですか。
三国志ライター黒田レンの独り言
馬超と許チョの一騎打ちを紹介しましたが、最後に馬超の凄まじい一騎打ちをもう一つ紹介して終わりにしたいと思います。
馬超は劉備の配下になる前、劉備の義弟・張飛と激闘を繰り広げたことがありました。馬超と張飛は一騎打ちを行いますが、両者実力が拮抗して中々決着がつかないため、昼間に行われた一騎打ちが夜中まで続いたそうです。
しかしそれでも両者の一騎打ちに決着がつくことが無かったそうです。
馬超が張飛と同じレベルの強さを持っている事にも驚きですが、一騎打ちを昼から夜までずっと続けられる二人の体力も凄くないですか。
レンなんてもう夜中まで起きてられる体力すら残念ながらありません。
■参考文献 正史三国志魏書・蜀書など
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