自動車王ヘンリー・フォードが造ったのは車じゃなく豊かな大衆?

2023年3月31日


自動車(クラシック)に乗るkawausoさん

 

自動車王ヘンリーフォードは、流れ作業で効率的に大量の自動車を生産する技術を生み出した事で有名です。しかし彼の業績は自動車の製造だけに留まりませんでした。フォードの究極の目的は「豊かな大衆」を作り出す事だったのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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安くて良い車を売り多額の給与を支払うフォード

日本史01 煙を吐く工場

 

ヘンリーフォードが自動車工場を建設した1903年、自動車は一台3000ドル以上しました。当時のアメリカ人の平均年収は750ドルであり、自動車は手の届かない高嶺の花だったのです。そこでフォードはそれまで小数の熟練技術者が一貫製造していた自動車の製造工程をどんどん分割、効率化、標準化し、作り上げた部品を最後に組み立て製品化する流れ作業を採用。フォードの自動車は1908年には950ドルまで値を下げ従来自動車の1/3の価格になります。

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

しかし、それでもフォードは満足せず自動車価格を下げ続け、1925年には1台260ドルと当時のアメリカ人の平均年収の2000ドルの1/8で買える自動車を製造したのです。また、フォードは独特の経営哲学を持っていました。通常、経営者は出来るだけコストを抑え利潤を増やそうとしますが、フォードは逆に従業員に全米一という多額の給与を支払ったのです。

 

従業員が顧客となり車が飛ぶように売れる好循環を生み出す

東京スカイツリー、kawausoさん

 

フォードの経営哲学は、たちまち労働者の間で評判となり、全米各地からフォードの自動車工場への求人が殺到します。フォードの工場で働けば夫婦共稼ぎで年収3000ドルを稼ぐ事が出来たからです。これは当時の平均年収より1000ドルも多い高収入でした。フォードで働くようになった従業員は、受け取った給与で自動車を買います。こうしてフォードで働く従業員が増えると、さらに自動車が売れるという好循環が誕生しました。

 

 

 

アメリカを近くし豊かな大衆を産んだフォード

アメリカのギャング、アルカポネ

 

フォードの自動車はアメリカ社会を根底から変えました。広大なアメリカには鉄道はあったものの、庶民の足というレベルには到達せず、馬車は維持管理費が高く気軽に使える乗り物ではありませんでした。しかし、フォードの自動車は260ドルの低価格で馬の10倍の行動範囲を大衆に与えました。

曹操のメルヘンな家

 

これにより、大衆は土地の安い郊外に一軒家を立てて、そこから自動車で都市へ通勤する事が可能になり、都市の就業人口が大幅に増えて、経済活動に一層の拍車がかかりました。こうしてアメリカには分厚い豊かな中間層が誕生、アメリカは黄金の20年代と呼ばれた繁栄の時代を謳歌します。フォードは自動車の製造を通しアメリカに豊かな大衆を生み出したのです。

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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