長きに渡って「暗愚」と言われてきた劉禅ですが、近年ではその見方も変わって、有能であったとの評価も出てきています。しかしその一方で、やはり劉禅は暗愚だった、と主張する意見もあります。
この度々衝突し合う話、一体どちらに正当性があるのか?
そこで今回は「劉禅は有能だった」のか、それともやはり「暗愚であった」のか、もう一度振り返って考察してみたいと思います。
「劉禅はやはり暗愚だった派の意見」
まずは長く言われてきた「劉禅暗愚派」の主張を見ていきましょう。
この暗愚派の意見で一貫しているのがやはり黄晧を重用したこと、そして蜀を滅亡させてしまったことが挙げられます。特に黄皓の重用は三国志好き、蜀好きである人たちのヘイトをかなり集めてしまったと言えるでしょう。
黄皓はやはりあの当時の宦官たちの代表格のように扱われていて、私腹を肥やす、政治を腐敗させていく、しかも最後は逃走して行方知れずというなんとも行き場のない怒りだけを煽って消えていく存在です。
この黄晧に政治を任せてしまったことで国力を減衰、その一方で姜維の北伐も止めることができずこちらでも国力減衰……そして蜀の最期、ともなれば劉禅は暗愚と言わざるを得ない人物でしょう。しかしこの劉禅の評価が、近年では見直されてきています。
「劉禅は有能だった派の意見」
ここで「劉禅有能派」の意見を見ていきましょう。
まず蜀の最期ですが、劉禅は降伏を選んでいます。間違いなく敗北であり、魏に対して膝を屈する行為ですがこの降伏をしたことで蜀は魏によって滅ぼされることもなく、多くの人命が助かったとも言えます。敗北しかない徹底抗戦に民を巻き込まず、先進的な考えから劉禅は降伏したとも言えるでしょう。
また蜀は夷陵の戦いの敗北でかなりのダメージを受け、もはや再起は不可能レベルに落ち込みました。そんな中でも劉禅は、それこそ諸葛亮などを筆頭とした有能な人物たちに任せていたとはいえ、後期の蜀を40年間も無事に存続させました。これほど長い期間、皇帝を維持し続けられたのは当時では劉禅だけです。こういった面を見ると劉禅は確かに有能でもあったのでしょう。
ではこれらを加味して、劉禅の評価を考察してみたいと思います。
やはり黄晧の重用は擁護できない
個人的にやはり、劉禅のやったことの中で「黄晧の重用」がどうしても気にかかります。黄晧のやったことは私利私欲に塗れたものであり、その最期も潔さが欠片も感じられない……言ってしまえば「蜀のため」を思ってやったことには見えないからです。
姜維の北伐も同じように国力を減衰させたとは言え、魏に対抗するとなればどうにかして北伐を成功させるしかないと姜維が判断した、と姜維の行動をなんとか庇うことができるのに対して、黄晧の行動はどれも擁護できないことばかりです。
この黄晧を重用してしまったことは、筆者の中で劉禅の評価をかなり落としてしまいます。しかし、ここまで言ってなんですが筆者は「劉禅は無能!」と声高に言いたい訳ではないのです。
三国志演義の影響、正史の影響も踏まえて…
劉禅が蜀を滅亡させた、という印象が強いのは何と言っても演義の影響でしょう。三国志演義では劉備は正しき主人公であり、仲間たちと共に蜀という国を切り開いていきます。この蜀を終わらせてしまったという劉禅はどうしても反感を持ちやすい人物となってしまっているのです。
また黄晧に関してですが、正史を書いた陳寿が黄晧と対立していて左遷をされたという経緯があります。このことから正史で黄晧が悪人として書かれているのも、何らかの私怨が込められていたのではないか、とも推察できるのです。
なのでどうしても劉禅、黄晧は「悪い」イメージが付きやすく、その一方で再評価されると今度はどこまでも「良い」イメージを付けようと躍起になってしまいます。だからこそ筆者は劉禅の評価として「治世の能臣、乱世の暗愚」という評価を推したいと思うのです。
三国志ライター センのひとりごと
劉禅が有能だったのか、無能だったのか、それは長く論議されてきた話でもあります。しかし改めて振り返ってみると、筆者の意見としては有能でもあり、無能でもあったと思えるのです。
個人的にはただ無能と貶めるのではなく、そして盲目に有能だったと祀り上げるのではなく……その人が何をしたのか、それをできるだけ冷静に考察して、より三国志の知識を深めていきたいと再確認させてくれた劉禅でした。
皆さんも誰かと何かを討論する時は、あくまで冷静に、そして楽しく話してみて下さいね。
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