三国志における有名武将の一人、張飛。この張飛は色々なメディアやゲームで紹介されていますが、その多くが「知力が低い脳筋」として描かれていますね。
しかもそのせいで失敗してばかりみたいに……しかし張飛はそんなに脳筋ではありません!そこでこの脳筋なイメージを覆しつつ、より張飛の魅力を知って頂きたいと思います。
張飛は結構頭が良い!
さて脳筋でいつも失敗しているイメージのある張飛ですが、その武勇は凄まじく、万夫不当と色々な人物に称えられています。しかもその一方で、段々と知略の面でも成長をしていくのです。
例えば長坂の戦い。ここで張飛は劉備を逃がすために殿として橋の上で曹操軍と対峙します。この時の曹操軍は大軍、対する張飛は僅かな兵士しか従えていませんでした。張飛は橋を一つを残して破壊、背後に兵士たちを潜ませて残った橋の上で曹操軍を迎え撃ちます。
そして兵士たちには伏兵を装うように命令して背後に控えさせます。この伏兵を警戒して曹操軍は進むことができませんでした……伏兵を演出した張飛……賢い子!更に入蜀時には敵将であった厳顔を説得しますが、そこではこんなエピソードがあります。それを次に紹介しましょう。
自分が信頼した人間にはとっても敬意をはらうよ!
張飛の最期と言えば部下に背かれての暗殺です。また粗暴な振る舞いが多い張飛は、多くの人に怖がられていました。しかし張飛がただ粗暴なだけではなかったというエピソードとして、それが江州での厳顔の生け捕りがあります。
この時に張飛は厳顔を詰問する場面があるのですが、ここで張飛に屈することなく、厳顔は「我が州には首をはねられる忠臣は居ても、降伏する将軍はおらぬ」と張飛に言い返します。これに張飛は激怒して厳顔の首を取ろうとしますが、厳顔は怯えることなく「「首を刎ねるならすぐにやれ」と言い放ちました。この厳顔の振る舞いに張飛は感動、その後は厳顔に敬意を持って接したといいます。
このように、張飛は自分が感服した相手に対してはちゃんと敬意を持って行動できる人物なのです。
張飛の粗暴さは劉備をかばうため?
「でも張飛は乱暴ですぐ暴力を振るうよ!」という張飛のイメージがありますよね。しかしこれは三国志演義の演出。実際は劉備がやった行為や、劉備の失敗を張飛に落とし込んで演出していることが多々あるのです。
三国志演義の劉備は仁徳の人ですから、それを覆すような行為はできません……そこで張飛に、という訳なのです。
とはいえ、張飛が全く粗暴ではなかったという訳ではありません。張飛は上官に対して敬意をはらう一方で、兵士などの下の身分の人たちへの扱いが良くなかったと言われています。このことから後に暗殺されてしまうのですが、別の見方をすれば張飛は上の人物の立場にコンプレックスを抱えていたのではないでしょうか。
そう考えると、張飛は何だか人間味のある、親しみやすい人物と思えてきます。
張飛の色々なエピソードと民衆受け
そんな張飛ですが、長坂での仁王立ちは、三国志演義で民衆にもとても受けの良いシーンだと言われています。このシーンではみんなが盛り上がって楽しんでいるんですね。また意外にも、張飛が暴力を振るうシーンも喝采が湧くのだとか……つまり意外にも、粗暴な張飛というのは民衆受けが良いのです。これは張飛のコミカルな人気、と言えると思います。
史実ではないものの、花関索伝では張飛は関羽の妻子を殺すことができずにひっそりと逃がすなどの行動をしたように描かれています。筆者はここにも、張飛の人間味を感じるのです。劉備が仁徳の人、関羽が軍神、と称えられている中で、張飛というのはより民衆に近い、同じ目線を感じられる人物と思われていたのかもしれませんね。
三国志ライター センのひとりごと
張飛と言えば脳筋、というイメージは聊か間違いであることは分かって頂けたでしょうか?張飛はやや暴力的な印象がありますが、そこを踏まえても張飛には関羽たちとはまた違った魅力があります。それは「人間味」。
ある意味張飛が暴力を振るうシーンも、人々からは憤りを見せる人間味、と捉えられていたのかもしれませんね。皆さんもただ張飛の行動を暴力的と見ずに、改めて張飛の行動を見直してみて下さいね!
参考記事:張飛 wikipedia
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