浜名湖名物「うなぎパイ」はどうして夜のお菓子なのか?

2023年5月6日


 

 

皆さんは、浜名湖名物「うなぎパイ」を食べた事がありますか?あまりにも有名なお菓子なので、お土産などで一度は食べたという方も多いかと思います。ところでうなぎパイと言えば夜のお菓子ですが、どうして、こんなキャッチフレーズがついたのでしょうか?

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本当はHな理由ではなかった!

人材を見出すのが趣味の曹操

 

浜名湖といえばうなぎ、そのうなぎが練り込まれたパイで夜のお菓子という事は…で、精力剤のイメージがついてしまった「うなぎパイ」しかし、うなぎパイを販売している春華堂のホームページによると、夜のお菓子のキャッチフレーズには、Hな理由はなかったのだそうです。

 

春華堂

 

大事な夜の団欒で食べて欲しいから

 

うなぎパイは昭和36年から発売されましたが、うなぎパイを考案したのは、春華堂の2代目社長、山崎幸一さんでした。当時の日本は高度経済成長期で女性の社会進出も進み、仕事を持っていて、家を空ける女性が増えてきた時代でもありました。そんな忙しい家族が一堂に集まるのが夕食であり、貴重な団欒に食べてもらえるお菓子であって欲しいというのが「夜のお菓子、うなぎパイ」のキャッチフレーズでした。

 

 

デマを逆手にとったうなぎパイ

貂蝉と呂布

 

しかし、当時の浜松の繁華街は日本一と呼ばれる大賑わいでした。そのため、うなぎパイは=精力剤として誤認されてしまい、夫婦がハッスルするお菓子だとする俗説が有名になってしまったのです。社長の願いとは違う意味で有名になったうなぎパイですが、それならばと開き直り、従来、浜名湖の水色をイメージしていたお菓子のパッケージを刷新。精力剤ドリンクに多い、赤と黒と黄色のカラーリングにしたところ、いかにも精力がつきそうという事で、増々売れるようになったとか…

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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