ヘリオガバルスとはどんな人?奇行を繰り返すローマ帝国史上最低の皇帝


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ヘリオガバルス皇帝

 

世界には、残酷な皇帝は掃いて捨てる程に存在します。しかし、常軌を逸したド変態皇帝と言うと、このローマ皇帝ヘリオガバルスがチャンピオンではないでしょうか?

 

今回は、史上最低変態皇帝、ヘリオガバルスについて解説します。


皇帝一族セウェルス家に生まれる

 

皇帝ヘリオガバルスことウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスは、元老院議員の父セクストゥス・ウァリウス・マルケルスと母ユリア・ソエミアスの子として西暦203年にシリアのエメサで誕生しました。

 

父のマルケルスは、騎士階級の出身で後に元老院議員になった人で、母方の祖母ユリア・マエサは、エメサの町の大祭司ユリウス・バッシアヌスの娘でセウェルス朝の開祖、セプティミウス・セウェルスの皇妃ユリア・ドムナの姉でした。従って、ヘリオガバルスの母はセウェルスの嫡男であるカラカラ帝とは従姉妹の関係であり皇帝家の一員でした。

 

このカラカラ帝は、残酷な性格の暴君として知られ、共同統治者で弟のゲタ帝とその一派2万人を殺害するなど暴政を敷いて元老院からの支持を失い西暦217年4月8日にメソポタミアのハッラーンで暗殺されます。

 

カラカラ帝には子供がなく、新しい皇帝にはクーデターの首謀者近衛隊長のマルクス・オペッリウス・マクリヌスが即位します。即位したマクリヌスは騎士階級から即位した初の皇帝でしたが、それは後ろ盾がない事を意味していました。

 

そこで、マクリヌスは未だに軍隊に人気があるカラカラ帝の血縁であるセウェルス一族を宮殿から一掃してセウェルス朝復興を阻止しようとします。これにより、ヘリオガバルスの一族も中東の属州シリアに幽閉されたのです。


祖母マエサ、セウェルス家復権を目論む

 

このマクリヌス帝の仕打ちに憤慨したのがヘリオガバルスの祖母であるユリア・マエサでした。ハッキリ言ってヘリオガバルスが皇帝になれたのは、この男勝りで智謀に長け名声に飢えた女傑ババアのお陰です。

 

マクリヌス帝は、息子のディアドゥメニアヌスと共同統治を開始しますが、東方の大国のパルティアに敗北し屈辱的な講和を結んだので軍隊からの信用を失っていました。

給料である塩が貰えずに困っているローマ兵

 

3世紀のローマは軍人皇帝の時代で、軍隊の支持を受けた男が一夜にして皇帝になり、支持を失った男があっさり殺害されるを繰り返していました。マエサは、これをチャンスと見て、軍隊に人気があったカラカラ帝の血筋にあるヘリオガバルスを時期皇帝に押し立てて反乱を起こします。

 

しかし、母方の血筋だけでは弱いと思ったオババは、ヘリオガバルスの母のソエミアスに私は従兄弟のカラカラ帝の愛人でヘリオガバルスはカラカラ帝の隠し子と嘘をつかせてまで、ヘリオガバルスの血筋の確かさを強調しました。

内容に納得がいかないkawauso様

 

実の娘を姦婦(かんぷ)にしてまで権力に執着するマエサオババやばいです。この状況からヤバイ臭いしかしません。

 

【塩を求めて争った人類の歴史】
塩と人類の歴史


ヘリオガバルスローマ軍を手に入れる

戦車馬車競争で1位になり最高の名誉を得る勝者(古代ギリシャ人)

 

さらに、オババはセウェルス家の巨万の富をローマの第3軍団「ガッリカ」の兵士や将軍を買収して自軍の兵力としていきます。西暦218年5月16日の夜、ヘリオガバルスの一行は、エメサのローマ軍団に潜入、軍団指揮官ヴァレリウス・エウティキアヌスは既に買収済みであり、ヘリオガバルスへの忠誠を正式に宣言しました。

 

ここで、ヘリオガバルスは、ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌスという従来の名を、カラカラの本名になぞらえてマルクス・アウレリウス・アントニヌスと改名しました。しかし、ややこしいのでこの記事では、ヘリオガバルスで統一します。

 

ヘリオガバルスの反乱を知ったマクリヌス帝は直ちに遠征軍を派遣しますが、すでに軍の士気は低く軍団兵による内乱が発生し指揮官は暗殺され兵士たちは指揮官の首をローマに送り返すとヘリオガバルスの軍勢に合流します。


マクリヌス帝を倒し皇帝へ即位

三国志のモブ 反乱

 

軍の反乱を前にマクリヌス帝は焦り、ヘリオガバルスを「偽のアントニヌス」と罵倒し今回の反乱は、狂った地方神官による暴挙であると記した手紙をローマの元老院に書き送り支持を求めます。

 

元老院はマクリヌス帝の言い分を認め、軍の意向とは異なりヘリオガバルスを認めないとする決議を出しました。なんとか元老院の支持を得たマクリヌス帝は自ら軍を率いて親征を開始しますが、すでにマエサオババに買収されていた第2軍団「パルティカ」の裏切りによってアンティオキアの戦いで敗北します。

 

マクリヌスは命からがら戦場から脱してイタリア本土へ戻ろうとしたが、カッパドキアで捕らえられ斬首。息子の共同統治者びディドゥメニアヌスも処刑されました。

 

こうして、ヘリオガバルスは元老院の許可なくローマ皇帝に即位した事を宣言し、元老院には事後承諾を求めます。すでに力がない元老院はマクリヌスを支持していた事を撤回し、ヘリオガバルスを皇帝として承認しました。この時代の権力はローマ軍にしかない事がよく分かる逸話です。

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