『水滸伝』は明(1368年~1644年)の時代に作られた小説です。中国では『三国志演義』に匹敵する人気を誇っております。
モチーフは北宋(960年~1127年)末期の小規模な反乱です。リーダーの宋江も実在しています。ところで、宋江は物語の主人公であるにも関わらずとんでもないクズなのです。
今回は宋江主犯のとんでもない事件をご紹介致します。
秦明スカウト事件
秦明は青州(現在の山東省)の将軍です。短期で怒鳴り声が大きいことから、霹靂火と呼ばれています。宋江は青州に立ち寄った時に、無実の罪で青州の役人から追われていました。
その時に追手として派遣されたのが秦明でした。宋江は清風山の山賊と協力して秦明を捕縛しました。捕縛された秦明は自分が捕まえようとした相手が、世に名高き宋江だと知ると即刻謝罪しました。
宋江はここで『水滸伝』お決まりのスカウト戦法にでます。ところが秦明は大人です。「家族がいますので・・・・・・」と言って断ります。普通に当たり前です。
翌日、宋江から解放された秦明でしたが帰ってみるとびっくりしました。なんと家族が上司により処刑されていました。
上司は秦明が宋江に降伏したという嘘情報を信じて、秦明の家族を処刑する報復に出たのです。びっくりした秦明は宋江のもとに戻りますが、そこで驚きの真実を聞かされます。(訳は現代の人に分かりやすくしています)
「すいません、あなたが欲しかったので嘘情報を流しました。家族には申し訳ないことをしました」
この発言には秦明も腹を立てましたが、後の祭りなので納得して宋江についていくことに決めました。宋江はお詫びとして、花栄の妹を秦明の新しい妻にすることに決めました。
花栄も青州の将軍です。前漢(前202年~後8年)の将軍の李広のように弓に秀でていたことから、小李広と呼ばれています。
〝小〟はジュニアという意味です。
中学時代に筆者はこの話を読んで「?」が頭が出ました。家族殺された原因は宋江にあるのに仲間になる理由が、さっぱり分かりません。
しかし、『水滸伝』はアウトローの小説です。
家族の絆よりも漢の絆を大切にするものと後に理解しました。余談ですけど宋代では死刑は簡単には出来ません。死刑案件の裁判は、朝廷に許可をもらうことになっています。だから秦明の家族が、あっさりと死刑になるのはあり得ない話です。
なぜこんな変な話が出来るのかと言いますと、
(1)『水滸伝』の成立年代が明(1368年~1644年)という全く違う王朝だったこと、
(2)学者などの知識階級ではなかったことなどが考えられるのです。
朱仝スカウト事件
朱仝は鄆城県(現在の山東省菏沢市)の役人です。関羽のように立派な髭を生やしていたことから、美髯公と呼ばれています。宋江とは親しい間柄でした。
さて、この朱仝にも宋江の魔の手が迫ります。ある日、朱仝の同僚の雷横が人殺しをしました。雷横は身軽であり、羽の生えた虎という意味で挿翅虎と呼ばれています。
朱仝は雷横を梁山泊にわざと逃がしてあげました。ところが、自身は罪人に逃げられたことにより責任をとらされて流刑になりました。不幸中の幸いにも流されたところの知事が良い人であり、朱仝を子供の教育係に任命したのです。ところが、これを見逃さないのが宋江です。
早速、雷横と軍師の呉用を派遣して朱仝のスカウトにあたります。呉用は諸葛亮レベルの知識を持っていることから、智多星と呼ばれています。
早速、2人がかりでのスカウトですが朱仝は「今の生活で十分です」と拒否します。正社員よりアルバイトの方が責任感が無くて楽なので、だから正社員の話は断りますという状況にそっくりです。さて話し込んでいるうちに、朱仝がお守りをしている坊ちゃんがいなくなりました。
朱仝が捜すも坊ちゃんは見つかりません。坊ちゃんはどうなったのでしょうか。
読者の皆様も考えてみてください(制限時間1秒)
正解は殺害されていました。
まさか宋江に?
いや、李逵です。
李逵は宋江の弟分です。宋江の言うことなら、なんでも聞く殺人マシーンです。体が黒いので黒旋風と呼ばれています。宋江はこの殺人マシーンに、坊ちゃんを殺してこいと命じたのです。
そうすれば朱仝は仲間になるとにらんだのです。案の定、朱仝は後戻り出来なくなり梁山泊入りを決意します。
これぞまさに・・・・・・「計画通り」
『デ〇ノート』の名言はともかく、ひどい話ですね。
この話を読んだ時も、宋江は悪魔だと思いましたね。
宋代史ライター 晃の独り言
以上が宋江のクズっぷりを顕著にする話でした。今回紹介した話では、マンガでは絶対に改ざん、または削除されます。
やっぱり日本人には受け入れがたい話なのでしょうね。
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