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[検証]袁術の息子・袁燿:正史と三国志演義のギャップに迫る

2023年10月19日


 

袁術

 

はじめての三国志」の人気キャラ・モンキー袁術(えんじゅつ)。このモンキー袁術の息子をみなさんご存知でしょうか。

 

袁燿(袁耀)えんよう

 

モンキー袁術の息子は袁燿(えんよう)と言います。

 

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志

 

袁燿は正史三国志(せいしさんごくし)三国志演義(さんごくしえんぎ)では全然違う生涯を歩むことになった人物ですが、どのような違いがあるのか。今回はモンキー袁術の息子・袁燿を紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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正史三国志の袁燿は孫家に仕える!?

はてなマークな劉備と袁術

 

モンキー袁術の息子・袁燿は、正史三国志だとどのような人物だったのでしょうか。

 

 

袁術

 

 

袁燿は袁術が生きている間は正史三国志にあまりこれといった記載が無い事から、特に目立ったことをすることもなく、袁術が作り上げた栄華に酔いしれていたのでしょう。

 

 

袁術

 

 

しかし袁術が亡くなってしまったことで、袁燿の運命が激変することになります。袁燿は袁術が亡くなると寿春を脱出して元・袁術の将軍の一人である劉勲(りゅうくん)の元へ身を寄せます。

 

このことから袁燿は袁術と一緒に袁紹の元へ向かっていなかった可能性が高いと思われます。もし袁燿が袁術と一緒に青州(せいしゅう)へ向かっているのであれば、劉勲がいる揚州(ようしゅう)の淮南地方へ向かうよりも、袁紹の元へ向かう方が近道で、袁紹の方が劉勲よりも強大な勢力を持っているため、身を寄せるなら袁紹の方が安心できるでしょう。

 

しかし袁燿は劉勲の元へ行っている事から、袁術と一緒に行動しないで、寿春(じゅしゅん)に留まっていた可能性の方が高いと思われます。正史三国志では袁燿の行方について触れていないので、あくまで上記はレンの推測です。

 

話がずれましたので元に戻したいと思います。

 

呉の勢力を率いる孫策

 

袁燿は寿春から脱出して劉勲の元へ身を寄せますが、江東(こうとう)を平定した孫策(そんさく)軍によって、劉勲の土地が奪われてしまいます。

 

 

呉の小覇王・孫策

 

 

袁燿は劉勲の領土が孫策によって奪われると、孫策に捕えられ、孫策の元に身を寄せることになりますが、ここで彼の運命が大きく変化することになります。

 

 

 

袁燿の姉妹が孫権の側室に

孫策に捕まる袁燿(えんよう)

 

 

袁燿は孫策に捕らえられて、江東に向かいます。その後孫策は刺客に襲われて亡くなり、孫権が君主として江東勢力のリーダーに就任すると袁燿の姉妹が孫権の側室に召し抱えられることに。

 

呉の孫権は皇帝

 

 

袁燿は姉妹が孫権の側室になった事で、彼も郎中の官職を授かり孫権に仕えることになります。更に袁燿の娘は孫権の息子・孫奮(そんふん
)
に嫁ぐことになり、姉妹・娘を孫家へ嫁いだことにより、袁燿の人生が大きく変化するのでした。

 

さて正史三国志では没落しつつも最終的にはそれなりに人生を栄華で終えた袁燿。しかし袁燿は三国志演義では全然違う人生を歩むことになるのです。

 

 

三国志演義ではモブキャラ!?

袁術と呂布

 

 

袁燿は三国志演義だとどのような人生を歩むことになるのか。

 

騙し合う呂布と袁術

 

 

袁術の息子・袁燿は袁術と呂布(りょふ)の同盟を成立させるため、呂布の娘と結婚する予定でしたが、結婚が成立できず、呂布との同盟もおじゃんになってしまいます。その後袁燿は袁術が皇帝になると皇太子になりますが、袁術が死亡してしまった為、皇太子になることもできませんでした。

 

汚職政治と闘う徐璆

 

 

そして袁術の死後・袁燿は寿春から脱出して劉勲の元へ逃げますが、徐璆(じょきゅう)によって皆殺しにされてしまいます。このように三国志演義ですと悲惨な運命をたどってしまい、ほとんどモブキャラ扱いの袁燿でした。

 

※三国志演義ですと袁燿の名前は記載されず、タダ袁術の息子としてしか登場していません。そのため三国志演義では袁燿かどうか確信的な事が言えませんが、ここでは袁燿として記載させていただきます。予めご了承くださいませ。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は袁術の息子・袁燿を紹介しました。

 

袁術と一緒にはちみつを楽しむ袁燿(えんよう)

 

 

袁術の血は正史三国志ですと孫家とまじりあう事で、生き延びることになります。敵対していた袁術の血が孫家の中で生き延びているのって不思議だと思うのですが、皆様はどのように思いますか。

 

■参考 正史三国志魏書など

 

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袁術はそんなに悪くない、自叙伝で袁術を庇っていた曹操

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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