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[李典と楽進]本当に仲が悪かったのか調査!

2023年11月27日


李典

 

 

李典(りてん)楽進(がくしん)張遼(ちょうりょう)との仲は最悪で全く協調しませんでした。しかし李典・楽進・張遼の三人が合肥城(がっぴじょう)を守備している時、孫権(そんけん)軍が襲来。この時、李典と楽進は日ごろの張遼と仲が悪かった事を一時的に仲直りをし、協力して孫権軍に立ち向かっていきますが、李典と楽進の仲はどうだったのでしょう。今回はこの二人の仲について紹介したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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楽進と李典は仲悪い!?

楽進

 

 

楽進と李典の仲は悪いのでしょうか。正史三国志によれば、李典と楽進の二人は一緒にコンビを組んで戦に臨んでいる時が度々あります。一体どの戦で二人はコンビを組んで戦ったのでしょうか。

 

 

 

李典と楽進のコンビ結成

 

李典と楽進はコンビを組んで戦った時がありますが、いつ頃どの戦で一緒にコンビを組んで戦ったのでしょうか。二人がコンビを結成したのは官渡(かんと)の戦いで袁紹(えんしょう)軍の大軍に曹操軍の本隊が勝利した後でした。李典と楽進は官渡の戦いの後、袁紹軍の残りが統治している河北を曹操の勢力で統一するため、曹操から命令を受けてコンビを組んで戦うことになります。

 

 

高幹討伐戦で活躍する二人

仲の悪い李典と張遼と楽進

 

李典と楽進は袁紹の甥・高幹(こうかん)が領有している并州(へいしゅう)を攻略するため出陣。李典と楽進はコンビを組んで出陣すると高幹が領有していた城や町を軽々と攻略し、二人の息はぴったりでした。そして李典と楽進のコンビは高幹が壺関(こかん)に籠城していることを知ると壺関を包囲。

 

曹操はこの二人が戦で功績を残したことを喜び、李典と楽進を褒めたたえています。その後二人は壺関の包囲戦から海岸線を拠点としている海賊討伐の命令を受け出陣。李典と楽進の軍勢は海岸線を拠点としている海賊を各地で打ち破って海賊たちの討伐に成功します。李典はこの海賊討伐戦での功績が曹操に認められることになり、侯の位を授与されることになります。このように二人のコンビは息がぴったりで、ふたりの仲が悪そうには見えませんよね。

 

 

 

戦では息ピッタリだけど…

李典を助ける于禁

 

李典と楽進は戦では息がピッタリで名コンビと言える戦いぶりを見せます。しかし正史三国志の李典伝では李典と楽進、そして張遼それぞれ仲が悪いと書いておりますので、李典と楽進もそれなりに仲が悪かったのでしょう。どうして二人の仲は悪かったのでしょうか。

 

 

李典と楽進の出身の違いに秘密がある!?

三国志ライター黒田レン

 

 

正史三国志には李典と楽進の仲が悪かったとしか、記載がなく二人の仲が悪かったのか分かりません。そのためここからは推測になります。レンは李典と楽進の仲が悪かったのは、出身の違いが原因だと考えます。李典は大豪族出身の武将で一族郎党合わせて一万人以上もいる裕福な将で、曹操軍に加入した後もとんとん拍子で出世していきます。

 

対する楽進は曹操軍の一兵士から始まり、初めは記録係からスタート。その後楽進は記録係から軍人へ転向し、一番下っ端の校尉から始まり、各地の戦場でコツコツと戦功を重ねていった武将です。そのため楽進が李典の出世スピードや豪族出身の裕福な武将であったことに嫉妬(しっと)していたと考えられると思われます。そして李典は楽進の悪意ある意思(嫉妬)に気づいて、楽進との仲が悪くなったのではないのでしょうか。あくまでレンの推論ですので断定はできませんが、皆さんはどのように思いますか。

 

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は李典と楽進の仲について紹介しました。普通仲が悪かったら戦場もプライベートも嫌いあっているはずです。しかし李典と楽進は戦場という非日常ではしっかりと協力して、敵軍を蹴散らし息がぴったりな二人ですが、プライベートでは関わり合いが一切無く、とても仲の悪かった二人。李典と楽進のようにはっきりと戦場とプライベートを区別した極端な武将も三国志の世界では珍しいのではないのでしょうか。

 

■参考 正史三国志魏書等

 

 

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2分で分かる合肥の戦い その3 曹操の秘策と張遼・李典・楽進

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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