中国文化の黎明:[漢王朝の誇る文化紹介]

2023年12月11日


城銅雀台

 

漢王朝(かんおうちょう)前漢(ぜんかん)200年、後漢(ごかん)200年、あわせて400年という長い歴史を誇る王朝です。そんな漢王朝の御代はたくさんの中国文化が芽吹いた時代でもありました。今回は漢王朝が誇る数々の文化をご紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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人類史上初の「紙」が発明された!

曹操のフリをして手紙を送るシーン

 

漢の御代に発明されたものの中でも代表的なものといえば「紙」です。今ではその辺に溢れかえっている紙ですが、後漢王朝に仕えていた宦官・蔡倫(さいりん)がつくり上げるまでは世界中のどこにも存在しないものでした。『後漢書(ごかんじょ
)
』には蔡倫が木の皮や麻を使って紙をつくり、和帝(わてい)に献上したと記されています。しかし、最近では前漢代の遺跡から紙の原型ともいえるものが多数出土しているということで紙の原型は前漢代には既にできていたと考えられおり、蔡倫は製紙法を改良したのだと考えられています。

 

 

 

儒教が全盛期を迎える

孔子と儒教

 

漢王朝の時代には老荘思想(ろうそうしそう
)
法家思想(ほうかしそう
)
も流行りましたが、
最も栄えた思想といえばやはり儒教(じゅきょう)です武帝(ぶてい)董仲舒(とうちゅうじょ)の助言を受けて儒教を官学に据え、五経博士(ごきょうはかせ
)
を設置したり郷挙里選(きょうきょりせん
)
を導入して儒家を中央に呼び寄せるようになると人々はこぞって儒教の勉強に励むようになりました。ちなみに、五経博士の「五経(ごきょう)」というのは『易経(えききょう
)
』『書経(しょきょう
)
』『詩経(しきょう
)
』『春秋(しゅんじゅう
)
』『礼記(らいき)』のことです。

 

簒奪する王莽

 

前漢末期には怪しげな緯書がたくさん編まれ、ついには王莽(おうもう)の帝位簒奪を許すまでになってしまいましたが、後漢王朝が成立すると五経を中心とする儒家の経典の研究が積極的に行われるように。経典の文字を1つずつ追って丁寧に解釈していく訓詁学(くんこがく
)
が花開きました。

 

 

『史記』や『漢書』などの史書が編まれる

史記_書類_劉邦と始皇帝

 

漢王朝の御代には歴史研究も積極的に行われました。その代表として挙げられるのは司馬遷(しばせん)によって編まれた『史記(しき)』や班固(はんこ)によって編まれた『漢書(かんじょ
)
』です。『史記』は神話時代から前漢・武帝(ぶてい
)
の時代までの歴史を紀伝体(きでんたい
)
、すなわち物語形式で描いた通史であり、『漢書』は同じく紀伝体によって前漢王朝の一時代の歴史を描いた断代史(だんだいし
)
です。他にも陸賈(りくか)による『楚漢春秋(そかんしゅんじゅう)』や劉向(りゅうきょう)による『戦国策(せんごくさく
)
』『説苑(ぜいえん
)
』、政府の修史(しゅうし
)
事業の一環として『東観漢記(とうかんかんき)』などが編まれています。

 

 

漢詩も2つの流派に分かれる

同年小録(書物・書類)

 

漢詩が全盛期を迎えるのは六朝時代や唐代ですが、漢王朝の時代にはその萌芽ともいえるものが見られるようになっていました。その代表的なものが楽府(がふ)」と呼ばれる民謡と()」と呼ばれる長うたです。「楽府」は五経の1つに数えられる『詩経(しきょう
)
』において「(ふう)」に分類されている詩を源流とするもので、五言のものが多く、音楽にのせて歌われることが前提の詩となっています。「楽府」には(いん)を踏むということ以外に技巧(ぎこう)と呼べる表現は少なく、民草(たみぐさ
)
の素朴な感情が詠われているのが特徴。他方、「()」は南方(なんぽう)で生み出されたシャーマニズム的要素が強い『楚辞(そじ
)
』を源流とするもので、七言(しちごん)のものが多いです。「賦」は純朴な印象の「楽府」とは異なり、比喩(ひゆ)表現や対句(ついく
)
表現などの技巧に富んだものばかり。中でも前漢代では司馬相如(しばしょうじょ)の「子虚賦(しきょふ)」や「上林賦(じょうりんふ)」が、後漢代では班固(はん こ
)
の「両都賦(りょうとふ
)
」が有名です。

 

 

お墓に埋められた芸術品の数々

曹操のお墓(曹操高陵)

 

漢代には多くの芸術品も作られていたようで、墳墓の中からたくさんの美術品が出土しています。明器と呼ばれる食器や家具、動物や奴隷をかたどった土器や青銅器、陶磁器、漆器をはじめ、遺体を覆う金縷玉衣(きんるぎょくい)、神話や戦争を描いた壁画等、実に様々。どれもこれも漢代の人々の技術力の高さが窺い(うかがい)知れる代物ばかりです。

 

 

 

天文学や医学、数学も発展

孔明もコペルニクスに似ていた

 

後漢代には様々な科学技術も一気に発展していきました張衡(ちょうこう)という人物は天文学に励み星座の位置を正確に示す渾天儀やどの方角で地震が起きたかを知ることができる地動儀を発明したり、月食のメカニズムを解き明かしたりと大活躍。張仲景(ちょうちゅうけい)という医者は傷寒(しょうかん
)
という伝染病を研究して『傷寒論(しょうかんろん
)
』という医学書を著しました。

 

 

華佗(華陀)

 

 

また、華佗(かだ)という医者に至っては麻沸散を使って世界初の全身麻酔を行ったと言います。

 

 

そろばんを叩く関羽

 

 

数学についても『九章算術(きゅうしょうさんじゅつ
)
』という数学の問題集が編まれており、その当時の人々も数学に励んでいたことが窺えます。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

こうして漢代の文化を列挙してみるとどれもこれも後世に大きな影響を与えたものばかりですね。漢王朝がいつまでも漢民族が誇る王朝として語られ続ける所以が垣間見えます。

 

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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