[歴史の真実]北条早雲の最期、戦国長寿大名の死因は?

2023年12月19日


北条早雲

 

 

戦国時代(せんごくじだい)に大活躍し、現在でも人気のある戦国武将たちですが、当時医学はまだそれほど進んでいなかったため、その死因ははっきりとは分かっていないことが多いです。その中でも、武田信玄(たけだしんげん)の死因は胃がんまたは結核、そして上杉謙信(うえすぎけんしん)の死因は脳溢血であったとされています。戦で命を散らすイメージが強い戦国大名ですが、必ずしも戦場で亡くなっていたということではなく、病気で命を落とすことも多々あったのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦国大名の先駆け、北条早雲の死因は?

戦国大名の先駆け、北条早雲の死因は?

 

では、戦国時代初期に頭角を現し、相模一帯を平定するという偉業を成し遂げた北条早雲の死因は、いったい何だったのでしょうか?実は、早雲の死因は討死でも病気でもなく、老衰(ろうすい)であったとされています。相模を平定した早雲は、家督を長男に譲り、当時としては長寿であった63歳で亡くなりました。一説には、87歳まで生きたとも言われています。どちらにしても、「人間50年」といわれた戦国時代を生きた武将としては、かなり長生きであったということができるでしょう。ちなみに、武田信玄は52歳、上杉謙信は48歳で亡くなっています。では、北条早雲は他の戦国武将と比べて長生きだったのでしょうか?

 

 

 

早雲はピンピンコロリで寿命を全うした戦国大名だった

徳川家康

 

戦国武将の死因には、戦で亡くなったケースを除くと、高血圧が密接に関わっていることが多いです。また、現在でいう生活習慣病で命を落とした戦国武将も数多くいます。北条早雲よりももう少し後の時代に活躍した徳川家康(とくがわいえやす)も、彼自身が健康管理に気を使っていたにもかかわらず、胃がんによって亡くなったとされています。やはり、相当なプレッシャーを抱え、ストレスが溜まっていたのでしょうか?

 

しかし、戦国武将のひとりである北条早雲は、老衰で亡くなったというだけでなく、とても穏やかな死を迎えたそうです。早雲が亡くなったのは、まだ武田信玄も生まれていない1519年のことでした。7月2日、三浦三崎で舟遊びをしている最中に倒れ、静岡県伊豆の国市の韮山城に運ばれると、そのまま回復することなく、1か月近く経った後に亡くなったそうです。

 

相模一帯を平定し、嫡男である北条氏綱に家督を譲った早雲にとって、この世で思い残すことは何もなく、大往生であったのではないでしょうか?500年近く前にその生涯を閉じた早雲ですが、その生き方を通して、現在の私たちも長生きの秘訣を探ることができるのではないでしょうか?

 

 

 

早雲が長生きできた秘訣とは?

 

早雲が戦国時代において長生きをすることができた理由のひとつとして、彼が若い頃に禅宗の教えを学んでいたということが挙げられます。禅宗の教えでは、食生活をはじめとする日々の生活を厳格に律しており、実際禅宗の僧侶は85〜108歳と、物凄い長寿であることも珍しくはないのだそうです。

 

鎌倉時代、禅宗を日本に持ち込んだ僧侶である栄西(えいさい)は、当時の日本人の平均寿命の3倍も長生きしたようです。戦国武将、というとどうしても血気盛んになりがちですが、禅宗の教えを守り、厳しく生活を律していた早雲は、現在でいうところの自己コントロールができていた人物であったといえるでしょう。

 

 

 

戦国ライター星野まなかの独り言

戦国ライター星野まなかの独り言

 

早雲の三男で箱根湯本の早雲寺院主となった北条長綱(ほうじょうながつな)幻庵(げんあん))は96歳の最晩年まで一族の長老として重きをなしていました。歳を取っても寝たきりにならないというのは、現在から見てもとても大切なことです。どうやら、北条家には長生きの遺伝子があったことは間違いなさそうです。もともとの遺伝的要因に加えて、きちんと生活を律していたというところが、早雲が戦国時代という乱世においてピンピンコロリを成し遂げた秘訣なのかもしれません。

 

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星野まなか

歴史上の偉人から人生の教訓を学んでいます 好きな歴史人物:諸葛亮孔明、織田信長 何か一言:文献を読むことが好きです。 「はじさん」に関わらせていただけることをとても嬉しく思います。

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