三国志の時代が終わって年月が経つ間に、巷では三国志を題材とした語り物やお芝居がたくさんできました。そうして盛り上がってきたエンタメ系三国志と、正史三国志をはじめとした歴史書とを融合させた歴史物語小説が三国志演義です。
これは現代ではエンタメ系三国志のバイブルとなっていますね。それより少し前に成立した「三国志平話」は、荒削りながら三国志演義に通じる要素が多く、かつ庶民の語り物や芝居の雰囲気を残している面白い本です。本日は、そのぶっ飛んだ内容から、まるで水滸伝のような成り行きで山賊になった劉備のお話をご紹介します!
着任早々叱られる
劉備が黄巾賊討伐の手柄によって安喜県の県尉に任命された時のことです。任命を受けた時にいた長安から任地の安喜県までの移動に手間取ってしまい、到着が期日より半月も遅れてしまいました。任地に着くと、劉備はさっそく郡の太守に叱られます。
「長安とここはさほど離れてもいないのに、半月あまりも遅れて到着するとはどういうことだ。酒に浸り功に驕り、官職が低いことを嫌ってわざと遅れて来たのだろう!」
太守は劉備を収監して杖刑に処そうとしましたが、左右の者たちに止められたため、かわりに役所の周りを三周させるという辱めをあたえたすえ、こう言いました。「県尉の詰め所に戻ってよい。これからは気をつけて勤めるのだぞ」
尖刀を持って屋敷に侵入
太守のところから戻った劉備が浮かない顔つきをしているのを見て、弟分の張飛はどうしたのかと尋ねました。劉備が答えをはぐらかすので、これは自分で確かめるしかないと、張飛は尖刀を持ち出して、夜に太守の屋敷に忍び込みます。(のっけから尖刀を手にとるなんてカタギの手際じゃないですね)屋敷の裏の花園で一人の婦人に遭遇し、こう言います。
「太守はどこで寝ている?言わなければ殺すぞ!」婦人は恐れおののきながら答えます。「太守は后堂でお休みになられています」
「お前は太守の何だ?」
「私は太守のお布団を整える係の者です」
「俺を后堂まで案内しろ」
怖いですねぇ。完全に賊ですよ。
無人の境を行くがごとく
后堂へ案内された張飛。まずは案内してくれた婦人を殺し(なんでやねん)、続いて太守を殺害しました。灯火の下にいた太守の奥さんが「人殺し!」と叫ぶと、それも殺しました。叫び声を聞き、宿直の兵士が三十人あまりも駆けつけて張飛を捕らえようとしましたが、張飛は一人で弓手二十人あまりを殺し、塀を乗り越えて何事もなかったように自分の詰め所へ帰って行きました。
無関係な婦人まで平気で殺す手際はまるで水滸伝の武松のようです。三国志演義の陽気な暴れん坊のイメージとは一線を画しますね。
なにも知らない劉備
翌朝、役人たちが劉備のもとにやって来て、いかにして殺人犯を捕らえようかと相談しました。弟が犯人だとは知らない劉備も犯人をとらえたいものだと思っています。事件が朝廷に伝わると、十常侍たち(当時権勢を振るっていた宦官たち)はこう言いました。
「太守を殺した賊は他でもない、県尉の手下に決まっています」朝廷は督郵(監察官)を派遣し、督郵は安喜県に着くと劉備を呼び出して尋問しました。
「太守を殺したのはお前か」
「太守は后堂の中におられ、明かりがともっておりました。現場から逃げ出した者たちは私の顔を知っていますが、犯人は私ではないと言っております」
「以前、十常侍の段珪はお前の弟の張飛に殴られ奥歯が二本折れたのだ。お前は着任の期限に遅れて断罪に処されるはずだったところを諸官のとりなしによって免れているが、この太守の叱責を恨みに思い殺害したのであろう。言い訳はやめよ!」
督郵は左右の者に劉備を捕らえるよう命じました。ちなみにこの督郵、三国志演義では名前が付いていませんが、ここでは崔廉といういい人っぽい氏名が与えられています。
容赦ない制裁
劉備が捕らえられそうになるのを見て、弟分の関羽・張飛は大いに怒り、刀を帯びて現場に乗り込みわめいたので、役人たちは逃げだします。二人は督郵を捕まえて服をはぎ取り、張飛が劉備を上座に座らせ、役所の前の馬をつなぐ柱に督郵を縛り付けました。
張飛は督郵の胸のあたりを鞭打ち、大きな棒で百叩きにし、督郵が死ぬと遺体を六つに分け、頭を北門に吊し、手足を敷地の塀の四隅にぶら下げました。そして劉備、関羽、張飛とその軍勢は、みんなそろって太行山の山賊になりました。
のちに朝廷は劉備一党を懐柔するために十常侍を斬ってその首を劉備に差し出し、太守殺しと督郵への凶行の罪を赦免して、劉備を帰順させました。山賊から足を洗って朝廷に帰順とは、まるで水滸伝の宋江のようです。
三国志演義では
この督郵のエピソード、三国志演義ではどうなっていたか振り返ってみましょう。
黄巾賊討伐の手柄で県尉になった劉備。なんの落ち度もなく仕事をこなし、住民の評判も上々。たまたま巡察にやって来た督郵が腐ったやつで、どうやら賄賂を渡さなければ劉備のことを悪く書いて上に報告するらしい。これに怒った張飛が勝手に督郵を馬つなぎの柱に縛り付け柳の枝で叩きまくっていると、
劉備が騒ぎを聞きつけ止めに入る。ここで関羽が、小さな役職についてくだらない者の侮りを受けるよりは督郵を殺して官を捨て、故郷に帰って別途遠大な計を立てたほうがよいと勧める。
劉備はこんなものいらねえやとばかりに県尉の官印を督郵の首に掛け、あばよとばかりに故郷へ帰る。督郵は県の住民に縄をといてもらい、このことを上に報告したため、劉備一行はお尋ね者になり、代州の劉恢にかくまってもらうこととなった。
三国志平話を見たあとで三国志演義を見ると、ずいぶんマイルドな感じがいたします。
演義と平話の比較
三国志平話では劉備が期日に遅れたり張飛が大量殺人を犯したりと劉備一行に非があり、督郵はまじめに職務にあたって事件の核心に迫ったところ惨殺され六分割され曝されました。劉備はその凶行を止めもせず、上座に座って眺めています。そして最後は手下を引き連れ山賊に。ずいぶん手慣れた悪党ぶりです。
三国志演義では、劉備一行には非がなく督郵が悪いやつだっただけで、張飛のバイオレンス描写も柳の枝で叩くだけと大幅にトーンダウン。誰も死にません。劉備は冷然と眺めているのではなく、張飛を止めに入る優しい人。そして最後は山賊にはならず、起訴されたからしかたなく知り合いのところに身を潜めただけです。これだと、劉備はとてもいい人に見えますね。
三国志ライター よかミカンの独り言
三国志平話は庶民文化に根ざしたもので、三国志演義は読書人階級の人が編纂したものです。庶民は弟の情を無下にせず毅然として山賊になる劉備親分の生き方や容赦ない猛獣張飛の大暴れに拍手喝采していたのですが、三国志演義は士大夫の価値観によってそれを矯正したのでしょう。
主人公はモラルに沿った立派な人でなければならないという発想でいろいろマイルドになったのだろうと思います。
劉備をひたすらいい人にするために、三国志平話で督郵についていた崔廉といういい人っぽい氏名をあえて記さず、ひどい目に遭って当たり前の名なしの雑魚キャラ化して誰も同情しないようにするという念の入れようです。演義のいい人劉備と平話のチョイ悪劉備、皆様はどちらがお好きですか。
【参考】
翻訳本:『三国志平話』二階堂善弘/中川諭 訳注 株式会社光栄 1999年3月5日
原文:维基文库 自由读书馆 全相平话/14 三国志评话巻上(インターネット)
▼こちらもどうぞ