「お前、俺が七歩歩くうちに詩を作れなかったら殺すから」と言って実の弟・曹植を殺そうとしたことで有名な曹丕。このようなエピソードが世に伝えられていることも相俟って、「曹丕は曹植を殺したいくらい嫌いだったんだな…」と思っている人は多いでしょう。しかし、そんな曹丕ですが、「実は曹植に死んでほしいなんていうことは思っていなかったのでは…?」と思えるエピソードも残されているのです。
今回は、そんな曹丕と曹植のほっこり(?)エピソードをご紹介したいと思います。
意外や意外、正史に見える曹丕の配慮
実は、陳寿が著した正史『三国志』における陳思王植伝、すなわち曹植の伝においては、曹丕の曹植に対する思いやりが垣間見えるエピソードが描かれています。曹丕は父の後を継いで魏王となった際、自分が父の後を継ぐことを散々邪魔してくれた丁儀・丁廙兄弟とその一族の男子を処刑。そして、権力を争った弟・曹植を地方の国に飛ばします。
しかし曹丕が皇帝に即位して間もなく、監国謁者から次のような知らせが舞い込んできたのです。
「曹植は酒に酔うと粗暴になるわ傲慢に振る舞うわ、その上曹丕様の使者まで脅迫する始末。どうか曹植を処刑してください。」
これを聞いて曹丕は困ってしまいます。というのも、曹植を処刑してしまっては母が悲しんでしまうに違いないからです。曹丕は母に配慮して、曹植の位を格下げして小さな国に封ずるにとどめて置いたのでした。母のことを配慮してとのことですが、それだけではなく、弟・曹植への配慮も感じられはしませんか?
裴松之が引く『魏略』に見える「弟だから許す」の言葉
実は先ほど紹介したエピソードには裴松之による注が付されています。裴松之は『魏略』という書物に見える曹丕の詔勅を引用しています。
「曹植は同じ母から生まれた弟である。私は皇帝であり、天下の万物を抱擁する者である。ましてや実の弟である曹植のこと。骨肉の親を処刑することなどできない。そのため、曹植については国を移らせることによって許す。」
やはり実の弟ということで特別な感情を抱いていたらしい曹丕。何度も国を移らせて嫌がらせをしていたことで有名な曹丕ですが、実は処刑ものの困ったことをやらかす弟をなんとかかばってやりたいと思っていたのかもしれませんね。
これまた正史と『魏略』に見える弟を想う曹丕の姿
その後も何があったのか、国を移らされた曹植。曹植はこの仕打ちに耐えかねて曹丕に得意の詩を織り交ぜた上奏文を献上します。陳寿が著した『三国志』の本文によれば、曹丕はこれに思いやりあふれる言葉で返答し、曹植を励ましたとのこと。
なんだか曹丕がめちゃくちゃ良いお兄ちゃんに思えませんか?ちなみに、この部分にも裴松之は注を付し、『魏略』に見えるエピソードを引用しています。どうやら予想通り何かをやらかしたらしい曹植。曹植は曹丕に直接謝りに行こうと考えて数人のお供を連れて関所を通ります。曹植は関所で曹丕との間を姉に取り持ってもらうために姉の元に行くと告げました。この知らせは曹丕のもとにすぐに届き、曹丕は迎えの使者をその姉の元に送り出します。ところが、待てど暮らせど曹植は現れません。
このことに母は「曹植が自殺したのでは!?」と取り乱し、「あんたが弟を追い詰めるから!」と曹丕を責めながらおいおい泣き出します。と、ちょうどその時、なんと曹植が宮殿の門に現れたとの知らせが!曹植は冠もかぶらず、自分の首を斬ってくれと言わんばかりに斧と処刑台を持って登場。これに母は大喜びしたのですが、なんと曹丕も大喜び!やっぱり曹植の安否が心配だったのですね。
ところが、曹丕は曹植と面会した際には全く笑顔を見せず、厳しい態度で臨んだのだそう。この曹丕の態度を見た母は、不機嫌になってしまったそうです。きっと母は兄と弟が仲直りしてくれることを望んでいたのでしょうね。ともかく、曹植は泣きながら土下座で謝り、曹丕はこれを許してハッピーエンド(?)となったのでした。
三国志ライターchopsticksの独り言
悲劇の王子と意地悪な兄という対立構造で描かれる2人の関係ですが、そう単純なものではなかったようですね。実は曹丕は弟を許したかったのに、弟の素行不良がそれを許さなかったということが多かったのではないでしょうか。
自分を信じてくれている臣下の手前身内びいきをしてはいけないという強すぎる思いが曹丕にはあったのかもしれません。とはいえ、魏の末路を考えれば、「もう少し曹丕が曹植に優しくしていれば…」と思ってしまいます。
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