広告

孔明の遺命!蜀の若武将たちに託された[重大任務]とその真意

2024年7月17日


孔明

 

 

「補給は重要」そのように兵法では習いつつも特権化した士大夫階級はそれを字面(じづら)でしか理解せず本当の意味で補給の重要性を知る人が少ないのが実際でした。劉備(りゅうび)の死後、諸葛丞相(しょかつじょうしょう)の下で成長した蜀の次世代武将の中にも、実感として戦乱の時代を知る人は少なくなっていった事でしょう。その事に危惧を覚えた孔明が、実戦間近な次世代武将に与えた任務が、なかなか深いので紹介しましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



養子の諸葛喬(しょかつきょう)を補給の仕事に従事させた孔明

蜀の兵士

 

蜀においては、食糧の補給を次世代に当たる諸将の子弟達に任せていました。その様子は、蜀書(しょくしょ)、諸葛亮伝に収められた諸葛亮集にある兄諸葛瑾(しょかつきん)への手紙にあります。

 

諸葛喬は本来は成都に戻すべきですが、今、諸将の子弟は皆、運輸に従事しており

栄辱(えいじょく)を共にするのが宜しいかと思います。

今、喬に五六百の兵を監督させ諸将の子弟と谷中(こくちゅう)で運輸させています。

 

 

手紙の通りだとすると、孔明は養子とはいえ実子として家督を継がせるつもりの諸葛喬を特別扱いせずに、他の諸将の子弟と共に大変な食糧輸送の任に充てているその事実が分かってきます。

 

 

諸葛恪

 

 

諸葛喬は才能では、兄の諸葛恪(しょかつかく)に及ばないながら性格の真っすぐな青年であり性格では勝るとして、呉では兄弟共に音に聞こえた人でした。まさにそれを知るからこそ、孔明はあえて困難な補給事業に従事させ、いかに補給が重要であり、大変な作業であるかを体験として理解させたかったそういう事ではないでしょうか?

 

 

少年期に流浪の困難を体験した諸葛亮

諸葛亮と諸葛瑾

 

 

孔明の戦略は、神経質な程に補給の重要性にこだわるものでした。決して無理をせず、補給が続かないと思えば退却を決意します。それは、彼の性格に由来するものでしょうが、やはり少年期に徐州の動乱に遭遇し荊州の隆中(りゅうちゅう)に落ち着くまで、艱難辛苦(かんなんしんく)をなめた事が影響しているのでしょう。

 

曹叡(そうえい)が孔明をdisった(みことのり)にも、以下のような内容があります。

 

 

 

「孔明は、ドけちである!昔、薪を背負っている時に摩擦で毛皮のジャケットがすり切れるのを惜しみ、それを裏返して着ていたし、それも裏地がすり減り、表の毛が全て抜けおちるまで捨てようとはしなかった。靴のサイズが合わないと見るや、自分の足を刀で削って無理やり履こうとし肌を切り刻み、骨に傷をつけながら、逆に自分を逆境に負けない人間だと称揚し大変に有能であると思いこんでいるのだ」

 

 

諸葛亮

 

このように、異常にモノを大事にする性質は、とても士大夫階級に生まれた孔明が自然に持っていた性格だとは思えません。人生の一時期に、食うや食わずの生活をし、衣食住全てに不自由したその経験から来た強迫観念込みの貧乏性のように思えます。その経験が孔明をストイックにさせ、やはり人間経験が第一であると考えさせたとすれば、高級官僚の子弟に困難な食糧輸送をあえて担当させたこの行動の意図が透けて見えてきます。  

 

 

困難を体験する事で初めて下積みの人々の気持ちが分かる

諸葛亮

 

黄巾(こうきん)の乱の時代に生まれ、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の動乱を経験してきた孔明には、その後に生まれてきた世代は、食べ物の有難みを実感としては知らない。補給の大変さを頭でしか理解していないという危惧があったのではないか?kawausoには、そのように思えるのです。

 

「人生とは、困難との戦いの連続である。

 

諸葛亮は、丞相としてそのように考えて、困難な補給業務を、次世代の人材達に体験させていたのです。

 

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

三国志ライターkawausoの独り言

 

戦争を経験した80歳以上の方々は、物を粗末にできないという観念が非常に激しいという共通した特徴があります。一度、困窮を経験すると「欠乏」が当たり前で「物が溢れるのは異常」という感覚が沁みついてしまい、時々、具なしのすいとんを食べたりなどして、ストイックさを思い出して安心したりします。

 

諸葛孔明の場合にも、少年期の流浪が強烈なインパクトとして心に刻まれ、補給への神経質な程のこだわりや、過剰に清貧な生活スタイルとして現れたのではないでしょうか?

 

 

▼こちらもどうぞ

諸葛亮孔明が残した兵法書はどれなの?便宜十六策の中身を一部紹介

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-外部配信