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四文字熟語、四文字の並びは何とも美しく、短いながらもそこに内包される意味合いもまた、深いものです。こういった文字遊びもまた雅やかということで。
今回のアンケートは「孫権を四文字で表すなら?」にしてみました。さあ呉王様にはどのような美辞麗句が並び奉られることでしょうか!(フラグ)
※今回のアンケートはコメントがより面白かったため、独自のコメントピックアップをしております。
蝙蝠野郎
「孫権の4文字と言って最初に出て来たのは「外硬内柔」でした。東呉では二宮の乱を起こす以前は外敵に強い守備政策をしていた事から中々他国から攻めて来る事も容易でなく、また名将も揃っていた事もあって攻撃を防いでおりその為に内政を強化できると言う強みがありましたが、二宮の変以降有力な武力・経済力を支える人材も居なくなり中から崩壊して行った、そんな感じがします」
引用元:はじめての三国志TV
三国志は三国がそれぞれけん制し合い、どれか一つが突出していない有様を表して……はおらず、残念ながら魏という大国が突出していました。魏と蜀はどうしても手を結べない、そこで呉はある時は魏に、ある時は蜀と、時に手を組みまたその手を払い、長く続いていた国でもあります。
その後を率いる孫権の姿は時に蝙蝠野郎と揶揄される可能性もありますが、今期はコメントの「外硬内柔」を取り上げさせて頂きました。国の硬さ、そして名将が国を上手に回していく様、それは孫権が作った国の形でもあると思います。
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胴長短足
「合肥敗走。別名、張遼の呪い(笑)。呉が合肥を攻めると、必ずボロ負けという不名誉な方程式を築いてしまった皇帝・・」
引用元:はじめての三国志TV
コメントでも言われていますが、孫呉の、そして孫権のトラウマ合肥の戦い。又の名を張遼無双。劣勢であったにも拘わらず、それ以上に不利な要因がいくつもあったにも拘わらず、張遼は孫権をもう一歩で討ち取る所まで追い詰めました。
その張遼が戦後、呉の捕虜に「胴長短足の男がいたけれどあれは誰だ?」と尋ねて、孫権であったと知ったお話から来ています。孫権は張遼を警戒し、病の時でも戦うことはなかったと言います……まあ次に出てくるのは満寵なんですけど。
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晩年老害
「晩年老害ですかね。兄の孫策から後を託され、そして皇帝になるまでは名君だったのですが、張昭を遠ざけたり、嫡男の孫登が死去した後悶着があったり等暗君ぶりが目立ちましたからね」
「あの老害っぷりが描かれなかった事を考えると演義で1番優遇された人物かもしれない」
引用元:はじめての三国志TV
やはりと言ってはなんですが、こちらのコメントは多く見ることになりました。三国志演義では殆ど触れられないため、正史を見てからショックを受けた人も多いのではないでしょうか。しかし、こんなコメントも並んであったのです。
「個人的には「経年劣化」かなと思います。経年ではないですが、コーエーのゲーム「三國志シリーズ」でも回が進むにつれて能力がじわりと下がっていってるイメージがあるので」
「若賢老痴、国を保つとは難しいが彼はよくやった。酒乱癖や晩節は荒れるが、外患に耐えた事は賞賛に値する」
引用元:はじめての三国志TV
孫権は晩年こそ老害化してしまったけれど、若かりし頃は確かに名君でもあったのです。だからこそ晩年が何とも惜しく目に移ってしまうのですが、その輝きもまた、忘れてはならないと再確認させて頂きました。
「陸遜憤死」
引用元:はじめての三国志TV
もうほんといたましい。
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酒乱大虎
「酒呑大帝」
「酒乱変化とか?」
引用元:はじめての三国志TV
お酒を飲んで暴れまわることを酒乱と言います。そして、お酒を飲んで暴れたり、暴言を言うような人は大トラ、と称されることがあります。その二つの言葉を合わせて酒乱太虎!なぜかって孫権はお酒を飲んではパワハラするから!
孫権自身も自分の酒乱っぷりを理解していたのか「自分が酒を飲んでから出した命令は無効」という命令を発して……お酒を飲んでも飲まれなければよいのでは?(禁句)
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その他
「紫髭碧眼!」
引用元:はじめての三国志TV
さて、孫権と言えばこの外見表現もまた有名ですね。なのでその他でピックアップさせて頂きました。「紫髭碧眼」この表現自体は三国志演義での描写であり、正史三国志ではない表現でもあります。とは言え、正史でも孫権は「紫髭」という外見的特徴を張遼が述べているので、まあ張遼が言うなら間違いはないでしょう!(圧倒的信頼)
また
「虹彩異色(オッドアイ)ホントかどうか知らんけど(笑)」
引用元:はじめての三国志TV
というのもありました。良く歴史上の偉人にはオッドアイ説がありますが、孫権にもあったのか……中々興味深いですね!
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三国志ライター センのつぶやき
では最後に、こちらのコメントでしめさせて頂きたいと思います。
「建業遷都。常に中国史の表舞台であり続けた都市南京、三国時代の建業から始まりました。孫権の慧眼には改めて驚かされます。有り得ない話ですがもし孫権が天下を統一した時は、都を建業に定める事も考えていたかも知れませんね。暴君ではありましたが孫皓が司馬炎に語った言葉(私は陛下を建業でお待ちしておりました)も自分は好きですね。」
引用元:はじめての三国志TV
何度も述べるようになりますが、孫権もまた、非凡な才能をもった人物でした。呉という国を、多くの人物から支えられつつも作り上げ、まとめたその手腕は評価されてしかるべきものです。だからこそいくつかの悪手が悪い意味で目立ってしまうのかもしれませんね。
また最後の司馬炎と孫皓のやり取りも、筆者はかなり好きです。そういう思いも込めて、最後に取り上げさせて頂きました。どぼーん。
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引用元:はじめての三国志TV