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始皇帝の容姿が原因?[中国統一後わずか15年で秦が滅亡した理由]

2024年9月4日


はじめての三国志_ページネーション

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始皇帝はブサメン

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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巡幸はバカンスでは無かった、激務で体調を崩した始皇帝?

始皇帝 死ぬ

 

始皇帝は巡幸の最中も、ただノンキに車に乗っていた訳では無かったようです。その間にも、沢山の木簡に目を通して命令を出し裁可を出していました。王に即位した頃から、始皇帝の勤務の真面目ぶりは突出していて、一日に一石(150キロ)の木簡を処理していたと伝わります。しかも、自分で決めた予定の仕事が終わらないと休憩もしないという徹底した完璧主義者だったようです。

 

咸陽の宮廷にいても大変な仕事を不自由な旅の途中でも行っていたというのですから、巡幸中に激務から始皇帝が健康を害した可能性も、大いにありうる話かも知れません。実際に始皇帝の死は、その五回目の巡幸の途中の出来事だったのです。

 

 

始皇帝以後の皇帝は巡幸をしなくなった

孫権 冠

 

始皇帝が巨万の富と威信を掛けて決行した大巡幸ですが、後に続く皇帝も、それ以後の皇帝も真似をして行う事はありませんでした。何よりお金が掛かるし、旅の途中は不自由だし、顔を曝すと庶民に馬鹿にされるしで、メリットが無かったからでしょう。

 

始皇帝の名前や母、妻や子供は?

 

始皇帝というのは、もちろん本名ではありません。まだ秦王だった時代の始皇帝は、姓を嬴(えい)といい氏を趙(ちょう)名前を政(せい)と言いました。始皇帝は、紀元前259年に趙の都、邯鄲(かんたん)で生まれたので、正月という意味がある政と名付け、趙政(ちょうせい)と呼ばれました。始皇帝の母の名前は伝わっておらず、趙の舞姫だったので趙姫(ちょうひ)と呼ばれ、始皇帝の父の子(しそ)が秦に戻って即位すると皇后に取り立てられました。ただ、始皇帝との関係は悪く、後には反乱を起こし幽閉されます。

 

一方で始皇帝の妻については、一人として名前が残っていません。それは、始皇帝が女嫌いだったわけではないようです。史記の始皇本紀には、始皇帝が崩御した時に、子供がいない后はすべて殉死(じゅんし)させられ数が甚だ多かったという記述があるからです。

 

では、子供たちはどれほどいたのでしょうか?

こちらも、史記の李斯列伝によると、公子が12名、公女が10名いたと記録されていますが、ほとんどが宦官趙高の手により殺されました。辛うじて名前が残っているのは、長子の扶蘇(ふそ)公子高(こう)将閭(しょうりょ)そして、2世皇帝になった胡亥(こがい)の4名です。

 

始皇帝の評価や登場する映画、漫画は?

 

始皇帝の評価は大変に悪く、特に、次の王朝である漢が400年も続き、また、始皇帝が焚書坑儒し弾圧した儒者が前漢の武帝期以後国教になり、特に、儒者に憎まれた事で、悪しざまに悪く書かれる事になりました。

 

始皇帝

 

もうひとつは、阿房宮や巨大な墓、驪山陵(りざんりょう)、万里の長城など、大土木工事を続々と起こし、人民を酷使し国力を無駄遣いさせた事も批判されます。ただ、儒教の影響が弱まった20世紀にはいると、度量衡の統一し全国の交通網を整備したり、漢字を統一して広大な7国を纏めて後の漢民族の基礎を造った事などが評価されています。

 

始皇帝が登場する作品としては、始皇帝暗殺やHEROのような中国映画がありまた、変わり種では、1962年に邦画で勝新太郎が演じた秦始皇帝があります。

 

 

漫画としてメジャーなのは、やはり原泰久原作のキングダムでしょう。舞台は、秦王として即位した直後の少年、政の時代から始まり、下僕から天下の大将軍を目指す少年、信(しん)や、始皇帝の瞳の輝きに、かつての戦神、昭襄王の面影を見た、秦の六大将軍、最後の生き残り、王騎(おうき)などが登場し、秦の中華統一に立ち塞がる六国と凄惨な戦いを繰り広げます。

 

善きにつけ悪しきにつけ、話題に上る秦の始皇帝、この機会に、手をつけやすいキングダムなど読み始めるのもいいのではないでしょうか?

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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