三国志には後漢王朝の基盤を崩壊させるきっかけを作り出した黄巾賊(こうきんぞく)。
また中国北方に位置した黒山賊(こくざんぞく)は、勢力が大きすぎて後漢王朝から将軍の位を贈られた国家公式の賊徒でした。上記の他にも白波賊(はくはぞく)などの賊徒が登場します。
魏は上記の賊徒と蜀の皇帝・劉備や呉の皇帝となった孫権(そんけん)も、同じ扱いをしていたのです。どうして劉備や孫権が賊徒と同じ扱いをされていたのでしょうか。今回はその理由についてご紹介していきたいと思います。
孫権と劉備も賊徒扱いされた理由は自称・皇帝だから
劉備は後漢王朝のラスト・エンペラー劉協(りゅうきょう)が、曹丕によって殺害されて皇帝についた事を知らされます。このことを知った諸葛孔明(しょかつこうめい)などの家臣達は、「劉備を皇帝にしよう!!」と語り合います。そして孔明達は劉備へ「皇帝になってください」と要請。
劉備は家臣達からの要請を受け、魏に対抗する形で皇帝となります。南方の一大勢力を形成していた孫権は、魏帝国と蜀漢帝国にならって、皇帝の位につくことになります。しかし孫権や劉備は自らの家臣達に「皇帝になってください」と要請されて皇帝になっただけであり、自称・皇帝に過ぎませんでした。三国時代に突入する前に皇帝を称した袁術(えんじゅつ)と何ら変わりありません。では正統な皇帝とはいったい誰のことをいうのでしょうか。
正統な皇帝とは曹丕が建国した魏
劉備と孫権が自称・皇帝であり、三国時代に突入する前に皇帝を称した袁術と同じでなのは、上記で説明しました。ここでは自称ではなく正統な皇帝とは誰のことを指すのかご紹介しましょう。それは魏帝国の皇帝に君臨した曹丕(そうひ)の事を指します。
しかし三國志を初めて知った読者の皆さんには、また疑問が浮かんで来ると思います。それは曹丕がなんで正統な皇帝なのか。そして劉備と孫権がなんで正統な皇帝ではないのかという所ですよね。どうしてなのか次でお教えしましょう。
曹丕はどうして正統な皇帝なの!?
曹丕は正統な皇帝である理由とは一体なんでなのでしょうか。それは後漢王朝のラスト・エンペラー劉協から皇帝の位を譲られたためです。劉備の元には曹丕が劉協を殺害して、皇帝の位を称したと知らせましたが、真っ赤なウソです。曹丕は後漢王朝のラスト・エンペラーから皇帝の位を譲ってもらい、魏王朝を打ち立てたのです。
ですから後漢王朝の皇帝から皇帝の位を譲られた曹丕こそ、正統な皇帝なのです。劉備・孫権は後漢王朝の皇帝から皇位を譲られていないため、正統な皇帝ではありません。そして自称・皇帝の劉備や孫権は、曹丕からしたら正統な皇帝である魏王朝の命令を聞かないため、黄巾賊や黒山賊と同じ賊徒なのです。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回は孫権や劉備が賊徒と同じ扱いを魏王朝からされていることをご紹介しました。歴史にifはありませんがもしも孫権や劉備が賊扱いを受けないためには、一体どうすればよかったのでしょうか。孫権や劉備が賊徒扱いされなくていい方法はいくつかあります。
一つ目は皇帝の位をやめて曹丕が建国した魏王朝に降伏する事です。もしこの方法を取れば皇帝を名乗った孫権や劉備は、処刑されてしまうかもしれません。しかし劉備の家臣や孫権の家臣は賊徒の扱いから脱出することができます。そしてもう一つの方法としては、曹丕が建国した魏王朝を打ち倒すことです。
始皇帝が打ち立てた秦からすれば前漢王朝を建国した劉邦(りゅうほう)も、賊徒と同じです。しかし劉邦は秦帝国を打倒して前漢王朝を打ち立てると賊扱いから脱出し、英雄の扱いを受けることになりました。この劉邦と同じように劉備や孫権が賊の扱いから脱出するためには、曹丕が建国した魏王朝を打ち倒せば、賊の扱いから脱出し、新たな王朝を開いた英雄として讃えられることになるのです。
そして曹丕が打ち立てた魏王朝こそ皇帝の位を後漢王朝から奪った、非道な王朝として非難することもできます。上記のような可能性もあったと思いますが、歴史は魏の皇帝が正統で、蜀や呉の皇帝は賊と同じ扱いを受けてしまうのでした。
参考:ちくま文芸文庫 正史三国志魏書 訳今鷹真・井波律子など
▼こちらもどうぞ