西暦189年、金儲けと女遊びに明け暮れた道楽皇帝、霊帝が死去します。
亨年は33歳ですから当時としても早死にです。
この霊帝には、二人の皇子が存在しました。
一人は霊帝の妃、何皇后が生んだ劉弁、そしてもう一人は、
王美人が生んだ劉協という皇子です。
前回記事:12話:黄巾賊の反乱を平定した漢王朝と残念なくらい無能な霊帝
この記事の目次
2人の皇子の後継者争い
王美人は、霊帝が寵愛した妃ですが、正妃である何皇后の嫉妬を買い
毒殺されたとも言われています。
その事もあってか霊帝は、王美人の産んだ劉協を哀れに思い、
死の床で、お気に入りの宦官蹇碵(けんせき)を呼んで遺言します。
「次の皇帝は王美人の産んだ劉協とする。
皆心を一つにして、これを盛たててくれ、、」
蹇碵(けんせき)何進の暗殺計画を企む
蹇碵(けんせき)は、この遺言を公開すれば何進は黙ってはいまいと見越して
何進の暗殺を企てます。
ところが何進は、異変を察知して、宮中には入らなかったので、
この暗殺計画は未遂に終わりました。
やがて、霊帝が崩御すると、何進は劉弁が年長である事を理由に、
皇帝に即位させると宣言します。
もちろん、本当の理由は、妹が産んだ劉弁を皇帝にして、
引き続き政治の実権を握ろうと思ったからです。
ともあれ、こうして、即位したのが第13代少帝でした、、
納得がいかない何進
ですが、治まらないのは何進です、自分を殺そうとした蹇碵(けんせき)を
そのままには出来ないとして配下の袁紹に五千の兵を与えて
蹇碵(けんせき)を討伐させました。
漢王室でも名門の袁一族
袁紹は、漢王室でも名門の家柄で、大尉、司徒、司空という
最高権力者を歴代輩出していました。
何進とは、違う理由で袁紹も政治に干渉する宦官を憎んでいて、
これを機会に蹇碵(けんせき)のみならず全ての宦官を抹殺しようと考えていたのです。
袁紹の企みを知ってしまった宦官達・・
袁紹の企みを知った宦官は震えあがり、ライバルである何皇后(かこうごうに贈り物をして
何進将軍を思いとどまらせるように説得を依頼します。
何皇后は、この計略に引っ掛かり、兄である何進を諌めます。
そのせいで、何進は決心が鈍り、宦官を排除できないでいました。
何進を説得する袁紹が・・・
「何進様、何を躊躇しているのです、そんな事をしていては、
折角のチャンスを逃してしまいますぞ」
袁紹に、何度も焚きつけられた、何進は、腹を括り、菫卓や丁原という
地方の軍閥達に洛陽に上洛するように命令を出します。
彼等の軍事力を背景に妹の何皇后にプレッシャーを掛けて、
宦官の抹殺に同意させようというのです。
董卓・丁原を洛陽に呼ぶのを反対する曹操達
曹操や盧植(ろしょく)といった武将は、それでは狼を呼び寄せる事になると反対しますが、
何進は、結局、袁紹を信用して踏み切ってしまいます。
それを知った宦官、張譲は、もはや猶予はないと覚悟を決めて、
妹、何皇后の名前を使って何進を宮殿に呼びだして殺害します。
殺害された何進、激怒した袁紹
それに激怒したのが、袁紹でした、それまでの宦官に対する怒りが爆発。
宮殿に兵を引き連れて乱入し二千人と言われる宦官の殆どを虐殺しました。
ですが、宦官の張譲は、少帝と劉協を連れて、宮殿を脱出していました。
そこで、張譲が遭遇したのが、洛陽に入城しようとしていた菫卓でした。
張譲は、菫卓軍に囚われる前に川に身を投げて自殺し、
少帝と劉協は、彷徨っている所を菫卓に保護されます。
大混乱し、治安も定まらない洛陽に菫卓は、帝と劉協を引き連れて入城し、
間もなく、少帝を廃して、劉協を即位させます。
これが後漢最期の皇帝である献帝になります。
外戚、何進と宦官達のバトルは、こうして菫卓に漁夫の利を与えて
終結してしまったのでした。
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