
この記事の目次
⑤ 李信との対比で見える“危うさ”
この変化をより際立たせるのが李信です。
李信は真逆の存在です。
・仲間を信じる
・感情で動く
・正面突破
このスタイルでここまで来ています。
もし王賁が完全に王翦化すれば
李信との対比はさらに極端になる。
そして読者は問われます。
強いのは王賁か李信か?
⑥ 玉鳳軍だけ“死なない”違和感
ここで一つの違和感があります。
これまでの中華統一戦争で秦では
多くの将が命を落としています。
しかし
玉鳳軍はほぼ無傷
これは明らかに不自然です。
なぜか?
考えられる理由は2つです。
・王賁が徹底的に合理で動いている
・あるいは“これから失う”
後者の場合
これはかなり危険な伏線になります。
⑦ 関常に漂う“死亡フラグ”
特に気になるのが関常です。
現在の玉鳳軍は、あまりにも整いすぎている。
こういう時、キングダムは必ず崩して
あえて不安定にします。
・王騎
・麃公
・桓騎
重要人物ほど、あっさり消える作品です。
そして今
王賁が変わったタイミング
ここで誰かが死ぬとすれば
最も物語的に重いのは関常でしょう。
⑧ 王賁の変化は“成長”か“喪失”か
一体、全体、
王賁は成長したのか?
それとも何かを失ったのか?
・勝つために頭を下げた
・合理的な判断を取った
これは確かに強さです。
しかし同時に
誇りを優先する
王賁らしさは
薄れているとも言えます。
キングダムの変化は、
何かを捨てて何かを得る事
一切の変化をせずに強くなる武将は
キングダムには出ません。
逆にそうでない場合は自滅します。
では、王賁はどちらか?
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