筆者が所属するはじめての三国志では、随分前にyoutube配信をした事がありました。その中で代表のおとぼけと石川氏が三国志の時代に登場した三本足の酒の器「爵」で赤兎馬と言う焼酎を飲むイベントがありました。しかし、この爵、三本足で不安定の上に飲み口が鳥のくちばしのように伸びていて、飲みにくい事この上なかったのです。
あの時、筆者は「古代中国人は、変な容器で酒を飲むなあ」と思っていましたが、それは大間違いでした。そもそも爵は酒を飲む器ではなかったのです。
爵は酒を温める器
爵はお酒を飲む器ではなく、酒を温める燗の道具でした。あの3本足の下から火であぶり、冷えたお酒を温めるのが本来の役割だったのです。そう言われてみれば鳥のくちばしのような飲み口も、突き出た取っ手も、まさに燗の道具としてなら納得できます。これは恥ずかしい、三国志の記事を8年も書いて9年目になろうというのに爵の用途に気づいていなかったとは!
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そもそも爵は三国志の時代には登場しない
爵の用途を勘違いしていただけでも三国志ライターの暖簾を畳んで南の島で隠遁生活をしないといけないレベルで赤っ恥ですが、さらに驚く事に爵が出土するのは紀元前17世紀の二里頭遺跡から紀元前11世紀の周の時代頃で、それ以降は出土しない古いタイプの青銅器だと言うのです。
なんてこった!じゃあ中国映画で三国志の英雄が爵で乾杯するのは嘘だったのか?これはもう誰も信じられません。曹操も劉備も大ウソつきです。やーいバーカ!バーカ!正直者の正助さーーーん!
実際に三国志の時代にあったのは耳杯
では、リアルに三国志の時代に使われていた酒器はなんなのでしょうか?これは耳杯と言い、楕円形の平底の器の左右に耳がついたもので、俯瞰でみると人の顔のようなので耳杯と名付けられました。 耳杯は木製に黒漆を塗ったものから、金属製、玉製、陶器と様々で、春秋戦国時代から秦漢時代にかけて作られました。三国志の時代の人々の酒器はこれだったのです。
なんで爵が三国志に登場?
では、なんで三国志の時代の遥か昔に廃れた爵が酒の器として三国志のドラマや映画に登場するのか?ハッキリした理由は不明ですが、どうもこれは見栄えの問題のようです。爵は雀を模した形で奇抜なデザインであり、また青銅製で豪華、いかにも古代中国を代表する感じで、撮影する上で重々しく格好の小道具になったのでしょう。
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