曹操が作ったお酒『九醞春酒』の作り方は?曹操とお酒の深い関係とレシピ公開




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魏王に就任する曹操

 

「三国志」における主役の一人、曹操(そうそう)には様々なイメージがあります。

 

霊帝の皇帝廃位のクーデターの誘いを断る曹操

 

人材を見抜く力がすごい、軍略家だ、はたまた残虐だ、など。そんな曹操、実は「お酒」と深い関係がある人物なのです。

 

曹操

 

今回の記事では「お酒」と「曹操」の関係について探ってみたいと思います!

 




曹操とは?

曹操

 

始めに簡単に曹操の経歴を紹介しましょう。曹操は沛国譙県(はいこくしょうけん)(現在の安徽省)の生まれです。父親は宦官の養子で、その出自は良くわかっていません。

 

若い頃の曹操

 

しかし官僚として莫大な財産を持ち、曹操も若いころは放蕩の限りを尽くしたといいます。

 

黄巾賊を退治する曹操

 

のちに中央に出仕し、「黄巾(こうきん)の乱」や董卓(とうたく)との戦いで活躍し、徐々に勢力を拡大します。

 

献帝を保護する曹操

 

官渡(かんと)の戦い」では宿敵袁紹(えんしょう)を破り、後漢最後の皇帝「献帝(けんてい)」を奉じて天下統一に近づきます。

 

赤壁の戦いで敗北する曹操

 

しかし、「赤壁の戦い」で劉備(りゅうび)孫権(そんけん)の連合軍に敗北し、やや勢力が後退します。

 

王芬のクーデターが失敗すると見抜く曹操

 

その後は着実に領土を増やし、家臣からは帝に即位するように求められますが、曹操はそれを拒否。死ぬまで皇帝に即位することはありませんでした。

 

魏の皇帝になる曹丕

 

息子の曹丕(そうひ)が献帝から帝位を譲位され、魏を建国した際に「武帝(ぶてい)」と曹操は呼ばれるようになったのです。

 

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曹操、美味しい酒の造り方を知ってしまう

お酒 三国志 曹操

 

曹操は酒にこだわりを持っていたようで、知り合いに酒造職人もいたようです。その人物(郭芝(かくし))から美味い酒の醸造法を曹操は聞き出しました。おそらく実際に作って飲んでみて大変美味しかったのでしょう。

 

献帝を保護する曹操

 

曹操は当時の「献帝」にこのお酒の造り方を上奏(帝に伝えること)しています。このお酒の名前を「九醞春酒(きゅううんしゅんしゅ)」と言いました。

 

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九醞春酒のレシピ

曹操のフリをして手紙を送るシーン

 

なんとその上奏文には酒の造り方のレシピも記載されていました。

 

1)麹約7キロと水約100リットルを用意します。

2)12月2日に麹を水で洗い、正月まで寝かせます。

3)正月になったら凍結部を解凍してください。

4)美味しいコメを加え、3日に一度発酵させてください。

5)180リットルになったらコメの追加は終了です。

6) 1から4の工程を9回繰り返してください。

7)麹のカスも取り除いてください。

8)完成です!

 

この製法は現在の日本酒の製法と近いそうで、日本酒のルーツも感じさせますね。

 

 

 

ちなみにこの酒に近いものが現在の中国でも曹操の出身地で「古井貢酒」として売られているようです。パッケージの曹操の絵が描かれていたりして、お土産にはピッタリでしょう(ネットでも買えます)。ちなみにこのお酒は「九醞春酒」よりかなりアルコール度が高いらしく、上記の製法とも異なるらしいです。

 

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酒の詩も作ってしまった

曹操

 

曹操は詩人としても知られ、いくつかの詩が残されていますが、酒にまつわる詩も詠んでいます。それは「短歌行(たんかこう)」という詩で、人材登用について詠った誌です。原文は是非検索していただきたいのですが、簡単に酒の部分をピックアップして意訳すると、

 

 

「酒を前にしたら大いに歌うべきだ。憂いを消すには酒を飲むしかない。君たちはわざわざ訪ねてくれた、語らい酒を酌み交わそう。」

 

 

曹操

 

このような感じで、どんなときでも酒さえあれば大丈夫という曹操の意志を感じる詩になっています。また、「対酒」という詩は「酒を飲みながら平和を謳歌しよう」という一説から始まり、曹操が理想とする世界を詠う、平和を願う詩です。

 

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しかし「禁酒令」も出す!

 

そんな酒好きの曹操ですが、「酒害を防ぐため」と「禁酒令」を出しています。しかし、「酒害」というのは表向きの理由で、飢饉と戦乱が激しさを増したため、食料難を緩和するため(酒は米で作られる)の禁酒令とも言われています。

 

腐れ儒者気質な孔融

 

この禁酒令に対し当時の名士「孔融(こうゆう)」(孔子の子孫)は「酒は素晴らしいものだ。だから(ぎょう)(昔の皇帝)は千杯の酒を飲まなければ、事業を成せなかった。それに夏の桀王(けつ)と殷の紂王(ちゅうおう)は女色によって国を滅ぼしたのに、今、婚姻を禁じないのは片手落ちじゃないか?」

 

孔融を処刑する曹操

 

と曹操に嫌みな手紙を送り、曹操に嫌がられています(のちに処刑)。

 

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三国志ライターみうらの独り言

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娯楽の少ない当時は酒は数少ない楽しみの一つだったようですね。曹操も文人ながらもこよなく酒を愛したようです。現在でも酒の席ではいろんな会話が弾むので、それは当時と変わらないのかもしれませんね。

 

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