自動車王ヘンリーフォードは、流れ作業で効率的に大量の自動車を生産する技術を生み出した事で有名です。しかし彼の業績は自動車の製造だけに留まりませんでした。フォードの究極の目的は「豊かな大衆」を作り出す事だったのです。
安くて良い車を売り多額の給与を支払うフォード
ヘンリーフォードが自動車工場を建設した1903年、自動車は一台3000ドル以上しました。当時のアメリカ人の平均年収は750ドルであり、自動車は手の届かない高嶺の花だったのです。そこでフォードはそれまで小数の熟練技術者が一貫製造していた自動車の製造工程をどんどん分割、効率化、標準化し、作り上げた部品を最後に組み立て製品化する流れ作業を採用。フォードの自動車は1908年には950ドルまで値を下げ従来自動車の1/3の価格になります。
しかし、それでもフォードは満足せず自動車価格を下げ続け、1925年には1台260ドルと当時のアメリカ人の平均年収の2000ドルの1/8で買える自動車を製造したのです。また、フォードは独特の経営哲学を持っていました。通常、経営者は出来るだけコストを抑え利潤を増やそうとしますが、フォードは逆に従業員に全米一という多額の給与を支払ったのです。
従業員が顧客となり車が飛ぶように売れる好循環を生み出す
フォードの経営哲学は、たちまち労働者の間で評判となり、全米各地からフォードの自動車工場への求人が殺到します。フォードの工場で働けば夫婦共稼ぎで年収3000ドルを稼ぐ事が出来たからです。これは当時の平均年収より1000ドルも多い高収入でした。フォードで働くようになった従業員は、受け取った給与で自動車を買います。こうしてフォードで働く従業員が増えると、さらに自動車が売れるという好循環が誕生しました。
アメリカを近くし豊かな大衆を産んだフォード
フォードの自動車はアメリカ社会を根底から変えました。広大なアメリカには鉄道はあったものの、庶民の足というレベルには到達せず、馬車は維持管理費が高く気軽に使える乗り物ではありませんでした。しかし、フォードの自動車は260ドルの低価格で馬の10倍の行動範囲を大衆に与えました。
これにより、大衆は土地の安い郊外に一軒家を立てて、そこから自動車で都市へ通勤する事が可能になり、都市の就業人口が大幅に増えて、経済活動に一層の拍車がかかりました。こうしてアメリカには分厚い豊かな中間層が誕生、アメリカは黄金の20年代と呼ばれた繁栄の時代を謳歌します。フォードは自動車の製造を通しアメリカに豊かな大衆を生み出したのです。
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