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[秘密の場所]劉備の墓、三国時代のどこに存在した?

2023年6月27日


 

蜀の皇帝に即位した劉備

 

農民から成りあがってしょく)の皇帝になった劉備(りゅうび)。劉備は夷陵の戦い(いりょうのたたかい)で孫呉の軍勢に敗北したのち、永安城へ撤退後亡くなってしまいますが、三国時代どこに埋葬されたか皆さん知っていますか。

 

今回は劉備がどこに埋葬されたのかと彼のお墓が三国時代どこに作ったのか紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備はいつ亡なかったのか??

劉備

 

劉備がどこに埋葬されたのか?

そして劉備のお墓がどこにあるのかを紹介する前にいつ頃彼が亡くなったのか紹介したいと思います。

 

劉備は孫呉と激闘を繰り広げた夷陵の戦いで敗北後、永安(白帝)城へ撤退。劉備は永安城で亡くなる間際、諸葛孔明(しょうかつこうめい)へ「君は曹丕(そうひ)に10倍する才能を持っているから、もし息子が補佐するに足らない馬鹿なやつであったら、息子に代わって蜀の皇帝になるがいい」と有名な遺言を残しています。

 

この時諸葛孔明は劉備へ「私は死ぬまで忠誠をささげて、命を捨てる所存です。」と有名で三国志を知っている方なら一度は聞いたことのある名ゼリフを残しています。

 

すいません。話がわきにそれましたので元に戻したいと思います。

 

その後劉備は諸葛孔明や息子・劉禅、重臣・李厳などへ遺言や政治の方針など色々と伝えた後、伝えることを言いきって安心したのか、それとも今までの疲れが出たのかわかりませんが、223年に亡くなります。

 

享年63歳でした。劉備が亡くなったころの出来事を上記でざっくりとですが紹介しました。さて劉備は亡くなった後、いったいどこに埋葬されたのか次から紹介していきたいと思います。

 

 

 

劉備はどこに埋葬されたの?

亡くなる劉備に遺言を聞く諸葛亮と趙雲

 

さて劉備は永安城で亡くなった後、どこに埋葬されたのでしょうか。劉備は死後、蜀の丞相になった諸葛孔明と劉備の息子で彼の跡を継いだ蜀の二代目皇帝劉禅(りゅうぜん)によって劉備の埋葬先が決定されます。

 

まず諸葛孔明と劉禅は劉備の遺体をまず永安城から蜀の首都になっている成都へ遺体を移します。その後諸葛孔明と劉禅は劉備の遺体を蜀の成都郊外にある恵陵と呼ばれる場所へ埋葬したそうです。

 

三国時代の劉備のお墓は恵陵と呼ばれる場所へ埋葬しましたが、現在劉備のお墓はいったいどこにあるのでしょうか。

 

 

現在の劉備の墓の場所はどこにあるの?

 

劉備は亡くなると恵陵と呼ばれる場所へ埋葬されました。では現在劉備の墓はいったいどこにあるのでしょうか。

 

現在劉備のお墓は四川省成都市の郊外にあり、劉備のお墓には「漢昭烈皇帝廟」と刻まれています。そして劉備のお墓は諸葛孔明のお墓「武侯祠」と一緒に祀られているそうです。

 

どうして劉備のお墓と諸葛孔明のお墓が一緒の場所に祀られているのでしょうか。

 

それは中国の最後の帝国である清の時代、君主と臣下を一緒に祀るように定めたためです。そのため劉備のお墓は諸葛孔明と一緒に祀られて現在に至ったそうです。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は劉備のお墓について紹介しました。

 

三国志時代の英雄の一人・劉備は諸葛孔明と一緒にいますので、興味がある方は是非一度覗いてみてはいかがでしょうか。さて話は少し変わりますが、今年の2月に曹操の墓から新しい発見が見つかりました。それは白磁と呼ばれる磁器(壺)が見つかりました。

 

三国時代にはこの白磁ですがまだ製造されていないと今まで言われていましたが、今回発見されたことで三国時代にも製造されている事がわかりました。白磁は今までの研究で三世紀ごろに製造されていたとされていました。

 

しかし今回の発見により、三国時代にも白磁を製造できる技術力があったことが判明。この曹操の墓から見つかった白磁ですが、今年の7月に東京国立博物館で開催される「三国志」展で初公開されるとの予定なので、興味のある方はぜひ見学してみてはいかがでしょうか。

 

■参考文献 正史三国志蜀書など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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