魯粛がいたからこそ劉備は蜀を建国できた!?

2018年8月14日


 

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劉備と的盧 ver2

 

 

三国志の英雄として必ず名前が挙がる人物と言えば間違えなく劉備(りゅうび)でしょう。

 

龐統と孔明を手に入れた劉備

 

 

劉備の前半生はほとんど流浪していましたが、諸葛孔明(しょかつこうめい)を得たことで戦略的に物事を考える事ができるようになります。そして劉備は蜀を得ることに成功し、三国志の一角を担う大勢力を築くことになるのでした。しかし劉備が大勢力を築くことに成功したのは孔明だけではありません。

 

魯粛

 

 

孫呉の魯粛(ろしゅく)がいたからこそ劉備は蜀を建国することができたのです。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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どうして魯粛がいなければ劉備が蜀を建国していなかったのか。

姜維

 

そもそも論ですがどうして魯粛がいなければ、劉備が蜀を建国することができなかったのでしょうか。それは劉備にとって魯粛が二つの事柄を劉備に提案したことで彼が蜀を建国することができ、ひいては彼の命を助けることになったからです。では早速魯粛が提案した一つ目の事柄について紹介したいと思います。

 

 



魯粛の提案その1:孫呉と手を結びましょ

魯粛と周瑜

 

曹操(そうそう)は大軍を率いて天下統一するため中華南部を攻略し始めます。劉備はこの時荊州に身を寄せていましたが曹操軍の大軍が南下してきたため、太刀打ちすることができずに逃亡。劉備は逃亡している最中、孫呉の魯粛と出会うことになります。

 

劉備と同盟を組む孫権

 

魯粛は孫呉と劉備が同盟を結んで曹操と戦うことを提案。劉備は魯粛の提案を受けて孫呉と同盟を結ぶことになります。もしこの時魯粛が劉備へ同盟を締結することを提案することが無ければ、蜀を建国することなどできなかったでしょう。

 

曹操に立ち向かう劉備と孫権

 

更にいえば劉備は曹操の大軍に飲み込まれて三国志の英雄としてその名を刻むことなく、滅亡していたことでしょう。このように考えれば劉備にとって魯粛がどれほど大切な存在だったのかお分かりになると思います。

 

赤壁の戦い

 

 

魯粛の提案その2:荊州問題解決に尽力

荊州問題解決に尽力する魯粛

 

劉備は魯粛のおかげで曹操軍の大軍を打ち払うことに成功します。その後劉備は、荊州の南部を手に入れることなり、勢力を大きく拡大することになります。そして劉璋(りゅうしょう)が治めていた益州をゲットすることにも成功し、大勢力を手に入れることになります。しかし劉備には大きな問題がありました。それは孫呉との荊州問題でした。

 

後継者争いで悩む孫権

 

孫呉は劉備が手に入れていた荊州の南部を返すように言ってきます。その理由としては「俺らが曹操を赤壁で撃破したから、君は荊州を手に入れることができただろ」と言うものでした。劉備はこの孫呉の言い分に対して「今はまだ返せません。益州を手に入れてから返します。」と言って引き伸ばしていました。

 

劉備と孫権

 

そして孫呉は劉備が益州を手に入れたことを知って「益州手に入れたんだから荊州返してくれよ」と言ってきます。劉備はこの孫呉の言い分に対して「すいません。もっと領土大きくしてから荊州を返します」と言ってくるのでした。孫権はこの言い分に激怒して「ふざけんなボケ!!返してくれんなら力ずくで奪ってやるわ」と言って荊州を分捕るため出陣。

 

関羽

 

荊州の南部は劉備の義兄弟・関羽(かんう)が守備をしており、孫呉の軍勢が来るとしっかりと守って孫呉の軍勢を領土内へ入れようとしませんでした。こうして劉備と孫権は荊州問題で対立することになり、抜き差しなら無い状態になってしまいます。ここで魯粛が劉備と孫権の関係を改善するために再び登場。魯粛は関羽と話し合いますが平行線で終わってしまいます。しかしこのことがきっかけとなり劉備と孫権の外交官が行き来した事で、荊州問題はある程度の解決を見ることになります。

 

もしこの時、魯粛が荊州問題の解決の糸口を見つけることができなければ、劉備と孫権は互いに争いを始めていた可能性が高いでしょう。そして両国が争えば得をするのは曹操であり、曹操軍の大軍が両国に襲い掛かってくれば、二つの国は滅亡していたかもしれません。これらを考えれば魯粛の果たした功績はかなり多きいのではないのでしょうか。

 

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

魯粛が劉備に対して行ってきたことはかなり大きく、両国は魯粛がいる間は同盟関係を維持することができました。しかし魯粛が亡くなると両国の関係は再び悪化することになります。これらのことを考えると魯粛は劉備にとって孔明以上に大切な存在だったかもしれませんね。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書など

 

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夷陵の戦い

 

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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