内政・軍事あらゆることに精通した蜀の丞相・諸葛亮。
諸葛亮を支えた奥さんはいったいどんな人なのか調べてみるといろんな伝説を持っているスーパーレディだったのです。
今回は伝説だらけのスーパーレディ・諸葛亮の奥さん「黄月英」を紹介します。
この記事の目次
諸葛亮の奥さんはいったい誰!?
いろんな伝説を持っているスーパーレディ・諸葛亮の奥さん。ここでは彼女の経歴を紹介したいと思います。
諸葛亮の奥さんは黄承彦と呼ばれる名士の娘として誕生します。彼女のお母さんは荊州の主・劉表の側近として知られる蔡瑁のお姉さんです。
三国無双や三国志のゲームでは諸葛亮の奥さんを「黄月英」の名前で知られています。ここでも「黄月英」として名前をつけて紹介していきたいと思います。
さて諸葛亮の奥さん・黄月英はどのような伝説を持っているのでしょうか。
黄月英の伝説その1:エジソンを超える発明王!?
諸葛亮の奥さん黄月英の伝説その1は、エジソンを超える発明王だったのです。諸葛亮は黄月英とお見合いをすることになり、黄承彦の家へ向かいます。
諸葛亮は黄承彦の家に到着すると玄関の戸が勝手に開いたそうです。
諸葛亮はこの仕掛けにびっくりして腰を抜かしますが、黄月英が戸を開く装置を作っていた事を知って、彼女を気に入り結婚を決めたそうです。
更に黄月英は諸葛亮と結婚した後、家に大勢のお客さんがやってきたそうです。この時、黄月英はからくり人形を製作してうどんを作らせ、諸葛亮が連れてきたお客さんを持てなしたそうです。
このようにエジソンが生まれる前に自動ドアの原型を作り出したり、うどんを作るからくり人形を作り出した黄月英。エジソンを超える発明王と言えるのではないでしょうか。
黄月英の伝説その2:外国人美女だった!?
さて次の黄月英の伝説としましては彼女が外国人の美女だった伝説が残っています。
黄月英は正史三国志の「襄陽記」では「髪の毛が赤く、肌が黒い」と記載されている事から、黄月英が外国人の女性だったといわれる伝承が残っているそうです。
他にも髪の毛がブロンズで染まっているチョー美少女だったとも言われているそうです。
黄月英の伝説その3:諸葛亮の「木牛流馬」のアイデアを提供
黄月英の伝説その3としましては諸葛亮が発明した「木牛流馬」のアイデアを提供した事です。
黄月英は結婚して諸葛亮の家に嫁入りする際、「私は馬、船、輿、歩くことを一切しないわ」と諸葛亮へ難問を吹っ掛けたそうです。
もしレンが諸葛亮だったら、嫁に来る際にいきなりこんな難問を吹っ掛けられたら頭を抱えて悩みこんでしまいます。
しかし諸葛亮はレンなんかと頭の構造が違っているのでしょう。
諸葛亮は黄月英が出した難問をすぐに解決。諸葛亮は木の形で作り出した荷車のような物を作って彼女を家に向かい入れたそうです。
そしてこれが諸葛亮率いる蜀軍で運用された「木牛・流馬」となって登場することになります。
三国志ライター黒田レンの独り言
いかがでしたでしょうか。
今回は諸葛亮の妻・黄月英がいかに伝説を持ったスーパーレディだったのかを紹介しました。
そしてここでは最後に一つ黄月英にまつわる伝説を紹介して終わりたいと思います。
正史三国志・襄陽記では黄月英の父・黄承彦が「色黒で赤髪で全然かわいくない娘だが、才知の点においては君にとっても似合っている。どうだわしの娘を嫁にしないか」と勧めたそうです。父親ですら娘の容姿をブスと認めている黄月英。
レンだったら間違えなく嫁に迎えることをしないでしょう。
しかし諸葛亮は黄承彦の話を聞いて「いいですよ。お宅の娘さんを私のお嫁に迎えましょう」と言って快く快諾。
この結果、郷里では「諸葛亮のような嫁を取り方を真似するな。黄承彦さん所のブスをつかむから」と言ってからかわれたそうです。
黄月英に対して悪口言い過ぎだろうと思いますが、これも黄月英の伝説の一つに数えることができるでしょう。
■参考 三国志武将辞典など
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