荊州の豪族・蔡瑁(さいぼう)はどこに行ってしまったの?正史と三国志演義で紹介!

2017年8月1日


 

 

ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく

「ろひもと理穂の三国志・あの人は今どこに」のコーナーです。

 

 

三国志の登場人物は物凄い数です。

ゲームですら500人以上登場したりします。

10分間でどれくらいの数の名前をあげられるのか大会を開いてほしいくらいですね。

1秒間に1人あげても10分間で600人ですから、これでも半分くらいでしょうか。

1000人以上の名前が出てくる方は完全にトップクラスの三国志マニアです。

試しにやってみてください。

後半は言ったか言っていないのか、実在した名前かそうでないのかもあやふやになってきます。

 

判明している字や出身地、没年まで言えたら凄いですね。

 

それだけの数の登場人物がいると、

あの人ってあの後どうなったんだっけ?っていうケースがあっても仕方がありません。

 

 

例えば有名なところでは、「蔡瑁(さいぼう)」ですね。

え?有名じゃないですか?

 

関連記事:蔡夫人、張允、蔡瑁、トリオ攻撃が劉備を追いつめる!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荊州の刺史・劉表の重臣

 

孫堅(そんけん)に殺された荊州刺史の代わりを務めたのが劉表(りゅうひょう)です。

劉表は地元の豪族・蔡氏の娘を後妻に迎えて縁戚関係を結び、

荊州に勢力を拡大していくことになります。

この劉表の後妻が蔡瑁の姉です。

さらにその子・劉琮にも蔡瑁の姪を正妻としています。

蔡瑁は外戚としてかなりの権力を握っていたことになります。

 

当時、劉表の客将だった劉備に人望が集まっていくことを恐れた蔡瑁は、

劉備の暗殺を計画します。劉備の愛馬「的盧」の活躍によって逃げ切った話は有名です。

こちらは「三国志演義」に記載されていますが、

「三国志正史」にもやはり劉備暗殺を企てていたという記述があります。

劉備と相性が悪かったのは間違いない話のようです。

 

曹操に降伏する蔡瑁

 

曹操の荊州侵攻に伴い、劉琮は実にあっさりと降伏します。

あまりに簡単に荊州が手に入ったために曹操も驚いたくらいです。

この降伏を主導した一人が蔡瑁です。

外戚としてかなりの発言権はあったと思われます。あまり知られていないことですが、

実は曹操と蔡瑁は旧知の仲だったそうです。

そのコネがあったからこそ蔡瑁は気軽に降伏したのでしょう。

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三国志演義の蔡瑁

 

三国志演義に登場する蔡瑁にそんなバックボーンは描かれていません。

水軍を率いることができるということで曹操に重用されます。

しかし周瑜の計略に引っかかり、曹操は蔡瑁の内通を疑い、処刑してしまいました。

これによって曹操の水軍は熟練の統率者を失って、戦力ダウンしてしまうのです。

 

つまり蔡瑁は赤壁の戦い前に死んでいることになります。

あの人は今どこに?どころではありませんね。

 

三国志正史の蔡瑁

 

しかし三国志正史の蔡瑁はまったく異なる描かれ方をしています。

劉琮や蒯越らと共に厚遇され出世していくのです。

従事中郎、司馬、長水校尉を歴任し、漢陽亭侯に封じられています。

赤壁の戦い前に処刑などされていません。

処刑はされていませんが、もはや脇役としても登場しません。

水軍の扱いに慣れているのであれば、

対孫権用の将として起用されそうなものですが、蔡瑁の名前は聞きませんね。

荊州の何らかのポストにいたのであれば、

関羽の樊城の戦いなどに係わっていたのかもしれません。

   

三国志ライター ろひもと理穂の独り言

 

と、いうことで三国志演義の蔡瑁であればその最期まで押さえている方は多いでしょうが、

三国志正史となるともはやどこでどうしたのか、いつ亡くなったのかも不明なのです。

三国志マニアとしては気になるところです。

適材適所という点において、曹操ほど人の性質を見抜き、

その長所を活かせるポストに配置することが巧みな者もいないでしょう。

はたして蔡瑁はどのような役割を果たしたのでしょうか。

名前がフェードアウトしていくのは実力的に仕方ないのかもしれませんね。

 

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-はじめての変, 執筆者:ろひもと理穂
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