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蜀の姜維と魏の郭淮、史上最強はどちらか?[武勇を比較]

2024年2月13日


姜維

 

三国志の後半になると物語は佳境に入り、武将達も三国志の前半や中期に比べると少し見劣りします。しかし物語の内容は前半・中期に比べれば物語終盤だけあってかなり面白くなっています。

 

夏侯淵敗戦後 混乱する軍をまとめた郭淮

 

この三国志後半の名将の一人に数えられる魏の重鎮・郭淮(かくわい)と蜀の姜維(きょうい)。二人は幾度も魏の西方をめぐって戦いを重ねてきますが、一体どちらが強いのでしょうか。今回はどちらが強いのか紹介したいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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郭淮と姜維の経歴紹介

 

郭淮と姜維のことを少しでも知らなければこのお話を読んでも面白くないので、ここでは郭淮と姜維のことを知らない人に彼らの経歴を紹介したいと思います。郭淮は最初から魏の重鎮として活躍していたわけでなく、コツコツと武功を重ねながら、戦の経験を積んで魏の重鎮として重きをなすことになります。

 

彼は夏侯淵(かこうえん)の部下として漢中攻防戦から戦に出て、孔明(こうめい)の北伐戦を防ぐための戦いにも幾度か参加。そして郭淮は三国志の後期になると経験豊富な歴戦の武将として蜀の攻撃から魏の西方を守る将軍へと成長を遂げます。

 

姜維と孔明

 

 

蜀の姜維もまた郭淮と同じように叩き上げの将軍です。姜維は元々魏の人でしたが、第一回目の諸葛孔明(しょかつこうめい)の北伐戦で蜀へ降伏。その後姜維は孔明の元でビシバシ鍛えられ、孔明死後蜀軍の中で重きをなしていきます。姜維は丞相・()の死後、蜀の軍事を一手に担って魏を倒すための北伐を続けていくのです。魏の郭淮と蜀の姜維の経歴をざっくと紹介しました。では郭淮と姜維は一体どちらが強いのでしょうか。

 

 

 

郭淮と姜維は戦った事があるの??

郭淮と姜維は戦った事があるの??

 

郭淮と姜維の強さを比較する前に二人の将軍は戦ったことがあるのでしょうか。結論から言いますと二人は幾度が戦ったことがあります。そのためここでは二人の強さを戦いの勝敗から比べてみたいと思います。

 

 

240年 第一回郭淮VS姜維の戦い

 

240年姜維は魏の西方の土地・隴西(ろうせい)を奪うべく出陣。郭淮は姜維が出陣してくるとの報告が入ると自ら軍勢を率いて、姜維率いる蜀軍を迎撃するべく出陣。二人は隴西近辺で戦いを行うことになります。そして郭淮が姜維率いる軍勢を撃退することに成功。姜維は軍勢を率いて退却していくのでした。こうして郭淮vs姜維の戦いの初戦は郭淮の勝利で終わります

 

 

247年 郭淮vs姜維の戦い

247年郭淮vs姜維の戦い

 

247年姜維は魏に付き従っていた羌族が大規模な反乱を起こし、蜀へ援軍を求めてきたので、自ら軍勢を率いて出陣。郭淮は羌族が蜀軍を援軍として迎え入れようしている事を知って、夏侯覇(かこうは)と共に軍勢を率いて迎撃に出ます。郭淮はこの時、夏侯覇を姜維率いる蜀軍と戦わせ、自らは姜維の軍勢を挟み撃ちにする作戦を決行。姜維は郭淮の軍勢が接近してくることを知ると急いで軍勢をまとめて撤退していくのでした。そしてこの戦いも郭淮の勝利となります

 

 

 

結果・・・・郭淮と姜維どっちが強い??

郭淮と姜維どっちが強い??

 

さて郭淮と姜維は248年にも戦っていますが、この時は郭淮の作戦に姜維がはまってしまい益州へ撤退していきます。郭淮と姜維の戦いはすべて郭淮が勝利で戦を終えているので今更語ることはないと思いますが、敢えて言います。姜維よりも郭淮の方が強いのではないのでしょうか

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

姜維よりも郭淮の方が強い結果で今回は終わりました。姜維の敗因は一体何なのでしょうか。それはレンの憶測ですが、やはり戦の経験値が足りなかったのではないのでしょうか。郭淮は夏侯淵や司馬懿(しばい)の元でふたりの将軍の戦のやり方をしっかりと学ぶことができました。しかし姜維はあまり戦が得意ではない諸葛孔明だけからしか(孔明の他にも魏延らから聞いていたかもしれませんが・・・・)学ぶ事ができませんでした。

もし姜維が趙雲や関羽らから戦のやり方を見て学ぶことができれば、郭淮よりも強くなっていたかもしれません。そう考える蜀の重鎮達が早々にいなくなってしまったのが悔やまれますね。

 

参考 【ちくま学芸文庫正史三国志蜀・魏書】等

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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