戦においては常に先鋒で戦ってきた楽進。魏の将軍の中でトップクラスの勇将と言われた張遼。知将としていくつもの戦いで活躍した李典。この三人はチョーがつくほど仲が悪かったのですが、三人がタッグを組むと三国志最強と言える強さを発揮するのでした。
協調性ゼロの三人
李典・楽進・張遼の三人はチョー仲が悪い三人でした。この三人はどうして仲が悪かったのか描かれていませんが、それぞれ性格が合わなかったのではないのでしょう。楽進と張遼は一回だけ一緒の戦線で戦ったことがありましたが、二人とも協力しないで自由気ままに戦っていたそうです。この時は人間関係の調整のプロフェッショナル・趙嚴が二人の仲を取り持ったため何とかなりました。また李典と張遼も一緒の戦線で戦ったことがありますが、この時も趙嚴が李典や張遼、他の将軍たちをまとめていたため、何事もありませんでした。このように全然協調性の無い組み合わせ最悪な三人が、ある時曹操の命令で三人一緒の城を守備することになるのです。
一緒の城内に駐屯した三人
楽進・李典・張遼の三人は曹操の命令によって合肥の城に駐屯することになります。この時、この三人は曹操の命令に従いますが、城内に入ると会議を開いたりすることなくここでも協調性ゼロでした。しかし孫権軍10万の軍勢が迫ってくることになると、薛悌という人物が三人を仲介して会議を開きます。
曹操の命令書を見るが…
薛悌は三人が会議に来ると曹操から預かっていた秘密の命令書を開封。この命令書には
「孫権軍がやってきたら、李典と張遼が一緒に城外に出て孫権軍を攻撃するべし。楽進は薛悌と一緒に城内にこもって孫権軍の攻撃から城を守るべし」と記されていました。
楽進・李典・張遼の三人はこの命令書を見て、苦い顔をしていました。張遼は城外で戦う事に賛成しますが、今までいがみ合っていた李典・楽進が協力するのか不安でした。李典は張遼の不安を感じたのか「ここは国家の一大事というべき出来事が発生している。だから今までの恨みを忘れて協力するよ。この戦いは君の計略で孫呉の軍勢を打破できるのかどうかにかかっているのだぞ」と張遼へ活を入れます。張遼と楽進は李典の言葉に同意し、協調性ゼロの三人は協力して孫権軍と戦うことを誓い合うのでした。
三国志最強のトリオ結成
楽進・李典・張遼は今まで協調性ゼロでしたが、初めて協力して戦うことに。楽進と薛悌は曹操の命令書にあった通り、合肥城の守備に回ることにします。そして李典と張遼の二人は孫権軍が合肥城へ攻撃を仕掛ける前に奇襲攻撃を行う作戦を立案します。李典と張遼は協力して孫権軍へ奇襲攻撃を仕掛けた結果、孫権を討ち取る一歩手前まで追いつめることに成功し、孫呉の軍勢を大混乱に陥れて、合肥城へ帰還します。
孫権軍は張遼と李典の奇襲攻撃を受けた後、合肥城へ総攻撃をかけますが、楽進達の鉄壁の守りに阻まれて、合肥城を落とすことができずに撤退。張遼は孫権軍が撤退する時も諸将を率いて出陣し、孫権を討ち取る寸前まで追いつめ、大勝利で戦いの幕を閉じるのでした。こうして三人が協力したことによって孫権軍はかつてない大敗北をすることになり、楽進・李典・張遼の三人こそ、三国志最強のトリオチームと言えるのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
魏の国内でも一番仲の悪い三人でしたが、国家が危機的状況に陥れば日ごろの仲の悪さを忘れて協力できた楽進・李典・張遼。この三人は7000ほどの兵力しかありませんでしたが、10万の孫権軍を撃退しています。このことからこの三人のトリオチームこそ三国志最強のチームだと思うのですが、皆さんはどのように思いますか。
■参考 正史三国志魏書など
▼こちらもどうぞ