「前漢の高祖・劉邦の片腕として活躍した陳平」と同等の人材と評価された賈詡。彼は董卓配下の牛輔の部下として活躍することになります。しかし董卓が王允や呂布らに暗殺されてしまったことと牛輔も殺害されてしまいます。
賈詡は牛輔の部下だった李傕らにアドバイスをすることに。そして彼のアドバイスによって李傕は歴史に名前を残すことになるのです。さて今回は賈詡が李傕へとアドバイスをした内容について紹介したいと思います。
董卓死す・・・・。
董卓は献帝の病気が治った祝いをするために皇帝のいる宮殿へと向かいます。董卓が宮殿に入ってくると宮殿で待ち伏せしていた呂布らが、董卓を殺害します。
こうして董卓は殺害されることになり、長安の民衆や皇帝、大臣等多くの人びとが董卓の死を大喜びで迎えたそうです。董卓が亡くなった時、賈詡の上司だった牛輔も殺害されてしまうのでした。
李傕は故郷へ帰る決断を下す
李傕は董卓や上司の牛輔が亡くなった事を知ります。李傕の元にいた兵士達は王允が元董卓軍に恩赦を出さない事や長安で董卓の配下達を殺害している噂を聞き、直ぐに軍勢を解散して故郷に帰りたいと李傕達に訴えます。李傕は兵士たちの意見に賛同し、軍勢を解散するべきだと考え会議を開きます。
そして李傕は会議に集まった諸将達へ「故郷に帰って落ち着こうではないか」と意見を提案します。諸将は李傕の意見に賛同しますが、一人だけ李傕の意見に賛同しない人物がいました。その人物こそ今回の主人公賈詡でした。
イチかバチか長安へ攻め込もうではないか
賈詡は李傕達へ「今あなた様達が逮捕されないのは軍勢を保持しているからです。もし軍勢を解散させてしまえば長安の役人達があなた達を捕らえることなど簡単にできてしまうでしょう。そのため軍勢は解散させない方がいいと思います。では軍勢を解散させないでどうすればいいのか。
それはこの軍勢を率いて長安へ攻撃を仕掛けるのがいいと考えます。この軍勢でイチかバチか長安へ攻撃し、もし長安を陥落させることができれば我らが後漢王朝の主導権を握ることも可能で、亡き董卓様を弔うこともできるでしょう。また長安を攻撃して陥落させることができなければ、そこで軍勢を解散させ各々故郷へ帰還すればいいのではないのでしょうか。」とアドバイスを行います。
李傕は賈詡のアドバイスを聞いて諸将を説得し、賈詡のアドバイスを採用して軍勢を率いて長安攻略へ赴きます。
賈詡のアドバイスに従った結果は・・・・。
李傕ら諸将は軍勢を率いて長安へ向かって進軍を開始。李傕達が率いていた軍勢は各地の董卓軍の残党達が集まってきたことにより、10万まで膨れ上がることになります。
そしてこの10万の軍勢は長安へ攻撃を仕掛けるとあっけなく長安の城は陥落し、董卓を殺害した王允を殺害し、献帝を手中に収めることに成功。こうして李傕は賈詡のアドバイスに従った事で、後漢王朝の権力を手に入れることに成功するのでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
賈詡の進言を李傕が聞いた事で状況は一変することになります。李傕がもし賈詡の進言を採用していなければ、故郷に帰える事ができずに王允政権の役人に捕まって処刑されていたかもしれません。
また李傕が王允政権の役人捕まえることなく故郷へ変えることができても一農民として過ごすことになったかもしれません。そうなれば李傕の名前は歴史に残ることはなかったでしょう。これらを考えると賈詡が李傕らにアドバイスをした事で李傕の名前が一躍有名になり、彼の死後も三国志の物語刻まれた事を考えると賈詡のアドバイスが大きく歴史を変えたと言っても過言ではないと思います。
参考 正史三国志魏書等
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