中国の歴史書を読んでいく上で悩ましいのは、その人物の官職が記されているものの、それがいったいどのくらいのものなのかがよくわからないというところ。同じ名前の官職でも、時代によって位の高さが違っていたり、違う名前の官職なのに、実は仕事は同じでしたなんてことがあったり。
とにもかくにもわかりにくい!
特に、三国時代なんて3つの国で違う官職があったり、位が違ったりで『三国志』を読むのは意外と大変。しかし、それは昔の人も同じだったようで、『三国職官表』なんていうものが編まれています。これがあれば『三国志』の官職も手に取るようにわかります。
このように、歴史書では必ず言及される官位ですが、皇帝のハーレム・後宮の美女たちの位ってどうなってるんだろう…。たまに現れる女性を見てそう思ったことはありませんか。今回は、そんな後宮の美女たちの位についてさらってみることにしましょう。
そもそも後宮とは何なのか
ところで、後宮とは一体何のために存在するのでしょう。たくさんの女性を住まわせていた後宮は、男にとっては何だか夢のような世界ですよね。
しかし、後宮は皇帝の欲を満たすための場所というわけではないのです。実は、皇帝の大切な仕事をするための場所なのです。その仕事とは何か。それは、次の皇帝を生むことです。
そのため、たった一人の女性を妻として少しずつ子をなすよりも、たくさんの女性を妻としてたくさんの子どもをなす方が効率が良いと考えられたのでした。最初は数人だった皇帝の妃も、時代が下るにつれて数を増やし、儒教が重んじられ、「孝」の考えがもてはやされた漢代には数千人という規模に膨れ上がった後宮。しかし、数千人といってもその全ての女性が愛されたというわけではありません。後宮ピラミッドともいえるピラミッドの頂を成す数百人だけが、皇帝の子を成す資格を持っていたのでした。
3の倍数のヒエラルキー
中国では古来より、1人の君主という頂点の下には三公という官僚のトップに君臨する官位があり、その次に位の高い九卿があり、といった具合に、3の倍数のヒエラルキーが存在していました。このヒエラルキーは後宮にも存在しており、1人の皇后を頂点として三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻、その他といった具合のピラミッドが形成されていたのです。前漢代にもなると皇帝の私情を交えて後宮がどんどん拡大していき、その位もますます増えて複雑化していきました。
ところが、後漢の光武帝は節約を理由に後宮を縮小。複雑化していた後宮の位号を貴人、美人、宮人、采女の4つにまとめたのでした。しかし、魏では子を産んだ女性や特別にかわいがっていた女性のために光武帝が廃した「昭儀」「婕妤」の位を採用していたようですね。能力で評価することが好きな曹操らしいです。
ヤキモチを焼いて殺された甄氏
女しかいないところというのは、大体どす黒い空気が生まれるものです。それは大体嫉妬に起因します。君主からの寵愛の差、子どもができた・できないの差、男児を授かった・授からないの差、子どもの能力の差。女の嫉妬による泥沼展開は、魏の後宮でも巻き起こっていたのです。曹丕の妃となった甄氏。彼女は位が低かったものの、曹丕の寵愛を受けて後に明帝となる曹叡を授かります。
ところが、その寵愛は次第に薄れ、曹丕の心は郭氏などの別の夫人に移ってしまいます。これを嘆いた甄氏は曹丕に恨み言をこぼし、怒った曹丕によって死を賜ったのでした。
郭氏による謀略だった!?
さらに悲しいことには、そのとき寵愛を受けていた後に皇后となる郭氏によって甄氏の亡骸は髪を乱された挙句、口に糠を詰め込まれるなど手ひどく辱められ、棺にも入れられずに葬られたのだとか。実は、甄氏が少しヤキモチ発言をしただけで殺されたのは、郭氏が裏で糸を引いていたからだったのです。
元々寵愛を受けていた甄氏に嫉妬して、あることないこと曹丕に吹き込みまくって曹丕の心を甄氏から引き離した郭氏は、まんまと邪魔な女を葬り去り、自分が皇后の位に就くという野望を果たしたのでした。ところが、皇后となれたものの、自分が殺した女の子どもの母にならざるを得なかった郭氏は、後に明帝となった曹叡により断罪され、かたき討ちされてしまいます。そんな彼女も身分が低かったことを息子・曹叡に憐れまれ、明帝となった曹叡に「文昭皇后」と諡されます。それにしても、三国時代の後宮も江戸時代の大奥以上に恐ろしいところだったのですね…。
▼こちらもどうぞ
魏の2代目皇帝・曹叡(そうえい)はいったいどんな仕事をしていたの?