「Japan+animation=Japanimation」ジャパニメーションという言葉が作られるほど世界中で愛される日本のアニメ。我らが誇るジブリ作品はもちろん、私たちが慣れ親しんでいるアニメのほとんどが、海外の人々にも楽しまれています。実は、我らが愛する横山光輝『三国志』のアニメは、戒律が厳しいということで有名なイスラム教圏の国々でも放送されていたようですよ。
『三国志』のアラビア題は『صقور الأرض』!?
日本では、中国と同じく『三国志』という題で親しまれている『三国志』。陳寿による正史『三国志』でも小説『三国志演義』でも『三国志』と十把一絡げにしてしまっていることは否めませんが、
なんとなくでも両者の違いがわかっている日本人は本場中国の『三国志』をそのまま受容して、本場の中国人と同じようにその内容を理解できていると言えるでしょう。私たち日本人が『三国志』を本場の中国人と同じように理解して楽しめるのは、私たちの文化の中に中国文化が染みついているから。漢字をはじめ、礼儀作法から風俗に至るまで、ありとあらゆる面で日本と中国は似ています。
それだけではなく、私たちは自分たちの文化を理解するために幼い時から中国文化を比較対照として学びますから、私たちが『三国志』を読み解く力は、特別なことをしなくても既に身についているものなのです。ところが、中東の人々はそういうわけにはいきません。彼らは上から下、もしくは左から右へ読んでいく漢字など使わず、右から左に読んでいくアラビア語を操り、儒教など目もくれずにイスラム教の聖典・コーランを諳んじます。
身にまとう衣装も、食べるものも、住む家の作りも全て違うのですから、イスラム圏の人々が『三国志』を中国人レベルで理解するのは至難の業。大学で博士号を取るレベルまで猛勉強しないと『三国志』を一から十まで理解することはできないでしょう。
しかも、アニメは子どもが見るもの。アラビア語すらおぼつかないような子どもでも理解できる内容にリメイクしなければ、イスラム圏の子どもたちは誰も『三国志』に見向きもしないでしょう。そんなわけで、大人たちは子どもでも楽しめるようにアニメ『三国志』をイスラム風にリメイク。
まず、その題を変更。その名も『صقور الأرض(スークルァルアルディ)』!邦訳は『大地の鷹』となるようですね。広大な大地を駆け抜ける英雄たちの姿を鷹に投影したのでしょうね。なかなかハイセンスではありませんか!三国鼎立の様相というものは物語の終盤になるまで正直わかりにくいですし、いっそ取っ払ってしまったその思い切りの良さも素敵ですね。
登場人物の名前もイスラミックスタイルに
題名もイスラム風なら、登場人物の名前もイスラム風。『三国志演義』を下敷きにして描かれた横山光輝『三国志』の主役・劉備は、アブドゥル・ラフマーン(عبد الرحمن)という何とも立派なお名前に。後ウマイヤ朝の3人の王と同じ名前なのだとか!
そして、関羽はハムザ(حمزة)、張飛はヘクマット(حكمت)、諸葛亮はブルハーン(برهان)と、イスラム圏ではお馴染みの名前に改名。
こうすれば、子どもたちも登場人物の名前をすぐに覚えられ、アニメの世界にすんなり入っていくことができますよね。中には、自分と同じ名前を持つ英雄の活躍に胸を熱くしたという子供もいたかもしれません。イスラム風に名前を改変したことは、イスラム圏での『三国志』人気に大きく貢献したのではないでしょうか。
悪役の名前、なんだか雑すぎやしませんか!?
一方、アニメ『三国志』で悪役として描かれる曹操や呂布の名前はなんだか酷い…。
曹操はツーツー(تسو تسو)。
呂布はロボ(لوبو)。
イスラム圏にこんな名前はありませんし、アラビア語にこんな単語はありません。ただの音訳ともいえる悲しい名前…。悪役と同じ名前で心を痛める子どもがいたら可哀想だということで悪役の名前はあえてイスラム風に改名しなかったのでしょうね。
イスラム圏の子どもたちの愛国心を養った『三国志』
どんなに名前が変わっても、『三国志』の魅力は変わっていなかったようです。
イスラム圏の子どもたちは、桃園で義兄弟の契りを結んだ劉備・関羽・張飛の3人をそれぞれ自分たちの思うイスラムの英雄たちに投影し、劉備の漢王朝復興の大志をイギリスの3枚舌外交で滅茶苦茶になったイスラム圏の回復を願う大志に昇華していったのです。『三国志』の英雄たちの志は、言葉や信仰の壁を越えて人々の心を養う力を持っているのですね。
▼こちらもどうぞ