暖かい季節になると、つるりとした食感の冷たいお豆腐が美味しいですよね。そこで本日は、中華の冷たいお豆腐料理「小葱豆腐」の超簡単レシピをご紹介したいのですが、それだけだと「はじめての三国志」らしくないので、ついでに蜀の武将・姜維と剣門豆腐のゆかりのお話もさせていただきます。
超簡単!小葱豆腐の作り方
材料:絹ごし豆腐、青ネギ、ごま油、塩、絹ごし豆腐の上に、ごま油をとろーりとかけ、塩をぱらぱらっと振り、輪切りにした青ネギをこれでもかというほど盛れば完成です。
ごま油や塩の量は適当で大丈夫です。かけすぎても豆腐の下に流れ落ちるだけですから味に影響はありません。塩味が足りない時は塩を足し、塩味が濃すぎる時はごま油をかければOKです。こんな簡単な作り方ですが、ちゃあんと本場中国のお味に仕上がります。冷蔵庫にお豆腐が余っている時にでも、ぜひお試し下さい。ネギがない時はごま油と塩だけでもおいしいです!(小葱豆腐にはならないですが)
四川省剣閣県の名物食材「剣門豆腐」
さて、「剣門豆腐」ですが、正式な名称は「剣門関豆腐」といいます。中国の国家地理標志保護産品となっている、剣閣県の特産食材です。剣閣県は、蜀の要衝であった「剣門関」がある場所です。
蜀の平地部をざっくりと、北の漢中盆地と南の四川盆地に分けますと(他にも重要な地域がありますが)、ひょうたんのようなかっこうをしております。ひょうたんの上のほうの丸が漢中盆地、下のほうの丸が四川盆地というイメージです。(上のほうが相対的に小さすぎますが)剣門関はこのひょうたんのくびれの部分にあたり、周囲に山が迫っていて、この関所を通らないと北から四川盆地には入れないよ、という感じの要害です。三国志では、蜀の末期に姜維が魏の鍾会の侵攻を食い止めた場所として有名です。
剣門豆腐とは
剣門豆腐という名前を初めて耳にした時、私は天津飯とか福建炒飯のような料理名かと勘違いしていたのですが、そうではなく、剣門山区の大豆と水で作るお豆腐のブランド名でした。剣門山区の礫岩油沙石土とやらで育った大豆と、剣門七十一峰にある「剣泉」の水で作る豆腐だそうです。色は雪のように真っ白で、味は鮮美、細やかでみずみずしく、しなやかで強靱、型崩れしにくいため、細く切ったり煮込んだりと多様な調理法に耐えるそうです。このため、剣閣では豆腐食がさかんで、二百種類以上もの豆腐料理があるそうです。剣閣の名物グルメとして「剣門豆腐宴」というものがありますが、これは多様な豆腐料理が出てくるお豆腐づくしコースのようなものです。
剣門豆腐の由来
剣閣県人民政府のホームページで紹介されている剣門豆腐の由来を和訳してみました↓
言い伝えによると、剣門豆腐は三国時代に作られ始めました。
蜀漢の大将軍姜維は、漢中で魏の将軍の鍾会・鄧艾に敗れた後、
要害の剣門関まで退却しました。
姜維の軍勢は疲弊して戦うことができず、馬も疲れて人を乗せることができず、
蜀の北の障壁である剣門は危殆に瀕していました。
そこで、剣門の地方官が姜維にこう提案しました。
「関所を閉ざして三日のあいだ戦いをせず、住民たちに各家で豆乳を絞らせましょう。
豆腐を兵士に与え、おからを軍馬に食べさせ、兵士と馬の体力が回復してから戦うのです」
この方法が功を奏し、兵士と馬の体力はすぐに回復しました。
三日後、姜維はたった五千の軍勢を率いて関所を攻め下り、大いに鍾会を破り、
魏軍の陣地を数十里後退させ、剣門の危機を解消しました。
剣閣のお豆腐屋さんは、毎朝「これが姜維の軍兵を力づけた豆腐だ」って思いながらお豆腐を作っているのかもしれませんね。
三国志ライター よかミカンの独り言
剣門豆腐を作るのに使う大豆は「黄豆」と呼ばれています。かつて玄宗皇帝が寵愛していた楊貴妃を失って食事も喉を通らなかった時に、剣閣の人たちが豆腐をおすすめしたところ、皇帝は召し上がってたいそうお気に召し、「これからはこの材料の大豆を皇豆と呼ぶがよい」とおおせになり、土地の人たちは「皇」の文字を使うことはおそれおおいとして代わりに発音が同じ「黄」の字を当てるようになったそうです。
その「黄豆」の呼び方が今でも使われているところから、剣閣の人たちが自分たちの大豆と豆腐を誇りに思っている様子が察せられます。ちょっといい話だなと思いました。以上、小葱豆腐と剣門豆腐のご紹介でした!
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