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鄧艾(とうがい)ってどんな人?苦労人のド根性人生に迫る

この記事の所要時間: 750

鄧艾

 

西暦263年、蜀を滅亡させた魏将として記録される

鄧艾(とうがい)鐘会(しょうかい)

 

二人は生い立ちは真逆といえる存在ですが自己顕示欲の強さなどは、

奇妙な程に似ていました。

 

鐘会は以前(鍾会(しょうかい)ってどんな人?蜀を滅ぼして独立を目指した男

に紹介しましたので、今度はもう一人の立役者である鄧艾の人生を追ってみましょう。

 

 

 

貧乏のどん底から這い上がる苦労人

 

鄧艾は字を士載(しさい)と言います、荊州義陽郡棘陽(きょくよう)県の出身でしたが、

彼が、まだ幼い頃に父は亡くなり、家族は激しい貧乏に襲われます。

 

しかも鄧艾が少年の頃、荊州の劉琮(りゅうそう)は曹操(そうそう)に降伏、

曹操は屯田の為に棘陽県の人々の一部を汝南に移住させます。

鄧艾は、この中に入っていました。

 

12歳になった頃、鄧艾は母に連れられて穎川(えいせん)に行き、

「文は世の範たり、行ないは士の則たり」と書かれた陳太丘碑文を読みました。

 

これは、陳 寔(ちんしょく)という穎川に産まれた儒者の言葉ですが、

 寔もまた、鄧艾のように貧しい境遇から身を起した苦労人でした。

 

鄧艾「文徳を天下に及ぼして世の模範となり、行いを正しくして

世の士大夫の則(従うべきルール)になるか・・

俺も、陳 寔のように正しい行いをして民を救い、世に名前を残すぞ」

 

鄧艾は感銘を受けて、碑文から名を取り、鄧範士則と名乗りました。

 

一度は鄧範と名乗った鄧艾ですが、一族の者が鄧範を名乗ったので、

再度、改名して鄧艾士載と自称するようになります。

 

 

生まれつきの吃音(きつおん)が出世の障害に

 

鄧艾は12~13歳で出仕しますが、彼には生まれつきのどもりがありました。

才能は高いのですが、その吃音を周囲にからかわれ、中々出世できません。

 

彼の家は、相変わらずの凄まじい貧乏で同情した郡の役人が鄧艾を無償で

援助したようですが、彼は当初、援助されている事を惨めに思い、

全くお礼を言わなかったようです。

 

鄧艾は、当時としては軽く見られていた農政官の末端に仕官しながら、

黙々と実績を積み重ね、地道に出世を重ねていきます。

典農綱紀(てんのうこうき)・上計吏(じょうけいり)と出世した鄧艾は、

都へ上申する為の使者に選ばれます。

 

鄧艾、司馬懿(しばい)に謁見(えっけん)して才能を認められる

司馬懿

この上京は鄧艾の運命を大きく変える事になりました。

彼は魏の実力者である司馬懿(しばい)と謁見が適う事になり自身の意見を、

吃音も気にせずに、司馬懿に述べました。

 

司馬懿「士載、、田舎には戻らずともよい、今からワシの属官として働け」

 

流石は司馬懿だけはあり、どもりの内側に隠された鄧艾の才能に気づき、

彼を自分の属官にした上で尚書郎に任命しました。

出世の望めない地方官僚から司馬懿の引き立てで中央へ鄧艾は引き立てられたのです。

 

関連記事:司馬懿が三国志演義に初登場するのはどのタイミングなの?

関連記事:邪馬台国が魏と外交出来たのは司馬懿のおかげ?

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鄧艾の大プロジェクトが魏の天下統一を一歩引き寄せる

 

当時の魏では、呉の討伐を容易にするべく、食糧の大増産が計画されていました。

鄧艾も農政官僚としてのキャリアを買われてスタッフとして参加して、

陳から寿春に至る一帯を調査し、この土地は肥えているのに水が少ないという

事実につきあたりました。

 

そこで、鄧艾は灌漑の為に運河を引き、水の便と航路の便を良くするように提案し

「済河論(せいがろん)」という本を書いて、具体的に説明しました。

 

さらに鄧艾は、これまで許昌に集積していた食糧貯蔵庫は江南からは遠すぎ

兵員の輸送コストが高くつくので、これを淮南、淮北に南下させて、

ここに運河を通して陳から寿春の穀物を集積し北の屯田兵も南下させて、

呉征伐を容易にするように提案します。

 

司馬懿は、その意見を全て入れ、運河は241年には完成、

魏は10万の大軍を5年間養える程の大量の食糧を蓄える事に成功しました。

 

姜維キラー鄧艾

姜維

 

鄧艾は農政ばかりではなく、軍事でも実力を発揮しました。

参西征軍事に昇進してからは、郭淮(かくわい)の副官として、この頃、活発に

魏の領土にちょっかいを出していた蜀の姜維(きょうい)の攻撃を完全に防いでいます。

師である孔明の遺言を奉じる姜維は、諦めずさらに255年に隴西郡に進攻、

魏では雍州刺史の王経(おうけい)が迎撃に当たりますが洮西(ちょうせい)で

蜀軍に大敗します。

 

王経は数万の兵を失い、狄道(てきどう)城に退却するも蜀軍に包囲されて絶対絶命。

この時に鄧艾は、陳泰(ちんたい)とともに王経の救援のため狄道に向かって

姜維の包囲を解き鍾提(しょうてい)まで撤退させました。

 

魏では、姜維を撃退した事で安堵のムードが広がり、暫くは姜維も攻めてこない

だろうから、軍を縮小してはどうかという意見が出ます。

 

【次のページに続きます】

 

関連記事:姜維は忠臣なのか、それとも愚将か?

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