『三国志演義』には、たびたび酒宴の場面が描かれています。
三国志の英雄たちがどのような料理を食し、どんなお酒を飲んでいたか、気になったことはありませんか?
この記事の目次
冬場にも野菜(ニラ)を作っていた
三国時代に先んじる漢の時代には、土に穴を掘って作った温室で冬場に野菜(ニラ)を作っていたという記録が残されています。現代の私たちと同じように、季節ものではない野菜を料理に使うことができていたようです。
漢の時代以前の家屋では調理をすると火事ばっかり
漢の時代以前、中国の家屋の煙突はかまどから屋根にまっすぐ抜ける構造をしていました。火力を上げると煙突を炎が昇ってしまい、屋根を焼いて火事なるということがしばしば起きたといいます。その為、かまどの火力を上げることが出来ず、料理も弱い火力で作れるものしかなかったと考えられます。
三国時代は強い火力で調理が可能になった
しかし、漢の時代以降、三国時代には直角に曲げた煙突が普及しており、強い火力を利用することができるようになっていました。ですからこの時代、料理の技術は大きく進歩し、作られる料理のバリエーションも相当増えていったと考えられます。
三国時代に確立していた調理方法を紹介
三国時代より後の南北朝時代にまとめられた農業の専門書である『斉民要術』には、
三国時代に確立していた基本的な料理方法についての記述があります。
・炙る(あぶる)。強火で炒める。
・羹(あつもの)。肉や野菜を入れて作った濃厚な熱いスープ。
・油で炒める
・煮る
・蒸す
・干し肉
・酢と醤油で味付けをする
ざっと見た限りでも、この時代には現代の中華料理の基本はすでに完成していたようですね。
豪華な料理が酒宴の場に並んだことが想像できます。
料理のことは分かりましたが、ではお酒についてはどうだったのでしょうか?
三国時代のお酒は薄くて粗悪だった
三国時代、一般的に作られていたお酒は薄くて粗悪なものが多かったと考えられています。
『ウマのように飲まないと酔うことも出来ない』とも言われていたとか。
古代中国の英雄たちは『斗酒なお辞せず』……
とにかく酒豪であるというイメージが強いですが、
実際にはそれだけ飲まないとロクに酔えなかったということかもしれません。
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曹操が皇帝に上奏した酒の製造方法
曹操が皇帝に「九醞春酒法」(きゅううんしゅんしゅほう)と呼ばれる酒の製法について上奏した記録が残っています。
この上奏文によれば、曹操の出身地の県令であった郭芝という人物が麹を九回加えて醸造する
「九醞春酒法」を紹介し、この方法で作った酒は上質で甘みがあるとしています。
この「九醞春酒法」は現代の日本酒の製法にもつながるものとされており、
中国の酒の製法が大きく進化した時代と考えられているようです。
上流階級や権力者の食卓には「九醞春酒法」で醸造された上質の酒が並ぶことも少なくなかったかもしれません。
三国志の英雄たちが、現代に勝るとも劣らない豪華な料理や上質な酒を楽しんでいた……そんな光景が想像できませんか?