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王朗はいかにして[噛ませ犬]となったのか?

2024年10月5日


 

 

蜀の丞相・諸葛亮(しょかつりょう)との舌戦に敗れ憤死するという、噛ませ犬役を担わされている王朗(おうろう)

 

正史三国志_書類

 

正史の三国志では諸葛亮と舌戦したという記録はなく、憤死もしていません。正史を読むかぎりでは立派な人である王朗を、いかにして「噛ませ犬」に変えたのか。三国志演義の脚色をたどってみましょう。

 

呂布 ポイント

 

※三国志演義は、歴史書の正史三国志やその注釈を元ネタにして作られた歴史物語小説です。吉川英治(よしかわえいじ)さんの三国志(小説)や横山光輝(よこやまみつてる)さんの三国志(漫画)のストーリー展開はおおむね三国志演義に基づいています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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王朗のいい話を全て削除

陳寿

 

正史およびその注釈書では、王朗はとても立派な人として書かれています。魏の三公(最高ランクの3つの官職)についており、魏の文帝に「この三公は一代の偉人である。後世これを継ぐのは難しいであろう(これほどの三公はなかなか得られない)」と評された一流の人物です。

 

名文家として有名な陳琳は王朗のことを魏の代表的な文人として挙げていますし、王朗が書いた「易伝」(『易経』の注釈書)は魏の官吏登用の受験科目に採用されていますから、高い学識を有していたはずです。

 

曹操と受験

 

正史三国志の王朗伝にある王朗の上奏文を見ると、国民一人一人の暮らしぶりを考えながら国策を語ることのできる、まごころ政治家であったことがうかがえます。王朗のこうしたあらゆる「いい話」を、三国志演義は全く書いておりません!

 

 

 

 

諸葛亮との舌戦で王朗が言わされたヘタクソせりふ

孔明

 

王朗が諸葛亮と舌戦したということからしてフィクションですが、その舌戦で王朗が言わされているせりふがまた、ヘタクソすぎてひどいです。文脈としては、天下が乱れてみんなが困っている時に魏の先々代・曹操(そうそう)が天下を平定して曹氏が帝位についたよ!

 

天下を平定して天命を受けた曹氏は偉いよね!君らも早く降伏したほうがいいよ! って内容なのですが、その文脈の中であらわれるこのせりふがひどいです↓

 

 

「盗賊蜂起、奸雄鷹揚、社稷有累卵之危、生霊有倒懸之急。」(盗賊は蜂起し、奸雄は跋扈し、社稷は卵を積み重ねたように危うく、人々は逆さ吊りにされるような窮状に陥った)

 

このせりふの中の、「社稷(しゃしょく)」という言葉がまずいです。社稷は、「社」が土地神を、「稷」が五穀の神を祭る祭壇で、王朝ごとに自分たちの社稷を祭るものです。社稷が危うくなった時に曹操が天下を平定したよ、という文脈のこのせりふは、曹操のことを「漢王朝のピンチを救わなかったどころかピンチに乗じて天下を手に入れた」と言ってしまっているのと同じになってしまいます。

 

 

世の中が乱れていたことだけを言えば天下平定は曹操の手柄になりますが、社稷なんて言ってしまったら、王朝が危ういのに助けなかった悪いやつと思われてしまいます。

 

危うくなった王朝を助けずに自分たちが新たな王朝を作って天下を手に入れていながらヒーローでいるためには、前の王朝が暴虐非道であったことを強調する必要がありますが、このセリフにはそういう工夫もありません。

 

暴虐非道じゃない社稷を助けなかったら悪いやつになってしまいます。このセリフは「社稷」を持ち出した時点で、諸葛亮に論破されるフラグが立ってしまっています。学識高い王朗がこんなヘマをするわけないのに、ずいぶんひどいせりふを言わされたものです。

 

三国志演義の王朗いじめの原因

憤死する王朗

 

王朗のいい話を全てカットして、かつ、舌戦でヘタクソせりふを言わせて諸葛亮に論破されて憤死させるという、王朗いじめ。三国志演義はどうしてこんなに王朗をいじめるのでしょうか。

 

これは恐らく、三国志演義が成立した頃の国粋的な文化の影響でしょう

 

三国志演義の元ネタがまとまってきたのは宋や明の時代ですが、宋も明も北方の異民族に悩まされた王朝ですので(北以外にもいろいろいましたが一番の脅威は北でしょう)

 

漢の王朝を受け継いでいるいい人たち(蜀)と、それをおびやかす北方の悪いやつら()、という構図のお話で、漢の王朝の人たちが活躍して北のやつらをぎゃふんと言わせるようなシーンが喜ばれたのです(北方の異民族をやっつけたい自分たちの気持ちが満たされるため)。

 

王朗は正史の中で、漢から魏への帝位の禅譲(位を譲ること)を推進する動きをしていましたが、このことも宋や明の時代のメジャーな考え方からすれば許しがたいことであったはずです。宋・明は中央集権的な考え方が強調された時代であり、国家に対する忠をつらぬくことはとても大切だと考えられていましたから、国家が傾いた時にそれを支えず王朝交替を推進した王朗は、いじめたくなる悪いやつだったのです。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

よかミカンの独り言

 

王朗は正史では立派な人でしたが、三国志演義が成立した頃の人たちの好みに合わせ脚色された結果、正史のいい話をカットされ、みっともないシーンを追加され、噛ませ犬になりました。最近、よく思うのですよ。三国志演義は正史とは全く別のお話だな、って。三国志演義はよく「七分実事、三分虚構」と言われていますが、素材だけは七割くらい拝借していても、精神構造は九割くらい別物かもしれません。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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