三国志の魏は色々な法律が定められておりました。軍事に従事する兵士達にもしっかりと法律が定められており、逃亡すればその兵士だけが殺害されるだけでなく、一族にも被害が及ぶことになっていたそうです。今回登場するのは曹操に仕え、その後曹丕(そうひ)・曹叡(そうえい)・曹髦(そうぼう)と四代の君主に仕えることになった法律の運用者として的確な運用を行っていた高柔(こうじゅう)です。
彼はある逃亡兵の妻子を助ける際、法律の適用が正しいかを調べて曹操にアドバイスを行ったそうですが、一体どのようなアドバイスを曹操へ行ったのでしょうか。
法律に携わる官職に任命される
高柔は曹操に仕え各職を歴任した後、曹操から法律に携わる官職を与えられることになります。彼は法律に携わる官職を与えられると「安定を招くには礼を基本とし、乱世を治めるには政治に必要なものは刑罰であると言う。
漢の劉邦(りゅうほう)は秦キツイ法律を廃し、蕭何(しょうか)に新しい法律を制定させた。君の判断は公平かつ妥当性に優れており、法律にも詳しいが、法律を乱用して裁可をくださないように気をつけてくれ」と言われたそうです。こうして高柔は法律に携わる官職に就くことになるのですが、彼がこの官職をもらってからすぐに事件が発生することになるのです。
合肥で事件発生
曹魏と孫呉との重要拠点である合肥(ごうひ)。この地駐屯していた兵士が逃亡する事件が発生します。この逃亡兵の名は宋金(そうきん)といい、彼は兵士達を鼓舞するための軍楽隊の所属でありました。曹魏の法律では逃亡した兵士は処断され、逃亡した兵士の家族にも重い刑罰が加えられることになっておりました。
宋金には奥さんと母、弟がいましたが、彼らは全員奴隷となってしまうことが決定。こうして事件は一件落着。しかし高柔はこの事件はまだ解決を見ていないと考え、法律の運用をこのままにしていいのかどうかを自ら検討します。彼はこの逃亡兵に対しての法律の運用方法をこのままにしては、いずれ大事件を引き起こす可能性があると判断を下します。そして曹操へアドバイスを行うことにします。
逃亡兵に対しての法律の運用方法改善を求める
高柔は曹操の元へ行き、合肥の駐屯地から逃亡した事件に対しての意見を述べます。彼は曹操へ「兵が駐屯地から逃亡するのは良くないことであります。しかし兵士達から聴取した所では、時々駐屯地から逃亡したことを公開している兵士も少なからずいるとのことでした。
私の私見を申せば、逃亡兵の妻や子、母親に対して寛大な処置をしたほうがいいのではないのかと考えます。その理由として逃亡兵が軍に帰ってくるように促すことができるからです。従来の法律では妻子達に対しても厳罰な処断が下されて、逃亡兵が軍へ帰還する望みを断ち切るものでした。
さらに殿は兵士が駐屯地から逃亡した際、さらに重い刑罰を加えようとなさっていると聞き及んでおります。これ以上逃亡兵や兵士の妻子達に対して重い刑罰を加えれば、集団で逃亡する可能性があり逃亡兵を処断することが、難しくなってくるのではないのでしょうか。集団逃亡する兵士が多発するようでは刑罰を重くしても兵士の逃亡を防ぐことができず、役に立たないと思われます。」とアドバイスを行います。曹操は彼の意見を聞いて「君の言うとおりである」と述べて、逃亡兵に対しての刑罰を重くすることをやめたそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
宋金の兵士達は高柔のおかげで奴隷の身分から救い出され、平民に戻ることができました。さらに曹操が逃亡兵に重罰を加えることをやめて少し緩和する政策をとったおかげで、逃亡する兵士が以前よりも少なくなったそうです。法律の運用方法を改善した彼の成果のおかげではないのでしょうか。
参考 ちくま文芸文庫 正史三國志魏書4 今鷹真・井波律子著など
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