『三国志』は戦乱の時代を駆け抜けた武将たちの物語です。
やはり勇猛な武将たちの魅力的な生き様や、機知にとんだ戦いの面白さに
目がいきますが、今回は視点を変え、
当時の服装事情について調べてみたいと思います。
この記事の目次
皇帝の衣装
漢には、春・夏・季夏・秋・冬という5つの季節がありました。
皇帝は季節により指定された色の服を着ていました。
・春 →青
・夏 →赤
・季夏→黄
・秋 →白
・冬 →黒
……年中赤い色にこだわって同じ色ばかりを着ていたのは曹操くらいです。
ちなみに、赤い靴は皇帝陛下と特権階級の人しか履くことが許されていませんでした。
皇帝が頭にのせている前後にすだれが付いた帽子のことを、
「冕」(べん)といいます。
ちなみにあのすだれは「旒」(たれ)といい、皇帝は12個と数が決まっています。
臣下たちの朝議の衣装
皇帝や三公など身分の高い人たちの衣装は厳密に制定されており、
身分の低い者たちはそれほどきちんとしたきまりはなかったようです。
この辺は身分が低いものほどきっちり正装をしなければならなかった
日本の平安時代とは逆ですね。
上半身は上衣といって、上は黒く下は赤くしました。
下半身には下裳をつけます。前掛けエプロンのようなイメージです。
そこには「十二章」の刺繍を施していいとされていました。
ちなみに十二章とは以下の通りです。
・日
・月
・星辰 →星座のことです
・山
・龍
・華蟲 →雉のことです
・宗彝(そうい) →古代の酒器などの礼器のことです
・藻
・火
・粉米 →白米を並べて花の形にしたものです
・黼(ふ) →斧のことです
・黻(ふつ) →二つの弓が背を向けて並んでいる形のものです
衣装の素材は絹で出来ていました。
庶民が来ていた服は、麻が一般的でした。
頭には被り物
宮廷では冠や冕をつけるのが主流でしたが、
一般的には巾(きん)といった布をかぶりました。
この巾、かなりおしゃれのバロメータだったようで、
みなこぞって斬新なスタイルを考えだしたり工夫をしていました。
有名なところでは、
まず巾といえば思い出すのは黄巾軍ですね。
彼らは仲間のしるしとしてみな一様に黄色に染めた巾を被っていました。
袁紹は絹の巾がとてもお気に入りでした。
高官になっても冠や冕などより絹の巾を被り続けたそうです。
曹操などは皮の冠を作り、「皮弁」(ひべん)といって
新しいファッションを提唱したりもしました。
剣は忘れずに!
外出時には必ず左側に佩剣というのが一般的でした。
特に朝議のときなどはこれを忘れた場合、恥ずかしい思いをするので
借りてでも剣を帯びました。
名札を忘れた小学生のような感じでしょうか。
しかしながら、皇帝の前では剣を帯びることは厳禁です。
皇帝陛下のもとに上がるときには、靴も脱ぎました。
—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—
この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。