春秋戦国時代には各国の貴公子が多くの有為の人材である食客を抱え込んでおりました。その貴公子達の中で最大の人望を持った人物は孟嘗君・田文です。彼は斉の国の貴公子ですが、彼の元には色々な能力を持った人物がおりました。
そんな彼は秦の国から「宰相になってくれ」と要請があり、秦へ向かいます。しかし秦は孟嘗君を宰相に据えますが、秦の国でとらわれてしまいます。だが孟嘗君は食客達の知恵によって脱出することに成功。この時の活躍が名言として残っているのでご紹介しましょう。
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天下の諸侯が慕った斉の孟嘗君
斉の貴公子である孟嘗君は天下の諸侯から人望を集めており、彼が動けば天下の諸侯が皆味方に付くという程でした。また彼の元には多くの食客が養われており、その数はなんと3000人と言われておりました。こうした孟嘗君をぜひ自国の宰相へ招きたいと熱望していた国がありました。その国は西方の強国である秦です。
昭襄王から請われる
秦の昭襄王(しょうじょうおう)は孟嘗君を宰相にするために、彼へ「我が国に来て宰相となってもらいたい」とお願いします。孟嘗君は天下の諸侯から嫌われている秦の国の宰相へなりたくないと思い、断ってしまいます。しかし昭襄王は一度断られたくらいでは諦めず、再び孟嘗君に使いを出します。孟嘗君は再び秦の宰相になってくれと請われると彼は秦へ行こうと決めます。なぜ彼は一度断っておきながら秦の宰相へなることにしたのでしょうか。
斉に居づらくなったため
孟嘗君は斉王とあまり仲が良くありませんでした。そのため事あるごとに斉の国政の政策に対して意見が食い違い、激論を幾度も交わしている始末。斉王は口うるさい孟嘗君を追い払いたいと考えておりました。孟嘗君も斉王がそのような考えを持っていることに薄々気づいており、斉の国から出たいと思っている矢先に秦から再度宰相へなってくれとの要請があったため、秦へ行こうと決意します。こうして孟嘗君は居心地の悪い斉の国を出て、秦へ向かいます。この時孟嘗君はひとりで斉の国を出たのではなく、大勢の食客を伴っておりました。
孟嘗君を捕らえる
昭襄王は孟嘗君が秦の宰相になることを決意して我が国へやってくることを知り、大いに喜びます。彼は臣下を集めてこの話をした後「孟嘗君が来たら、彼を宰相の位につけるからよろしく」と伝えます。
秦の文官たちは昭襄王の言葉に大いに驚きます。そして彼らを代表してある大臣が「孟嘗君を宰相にしてしまえば、彼の出身の国である斉に有利な外交や国政ばかり行い、我が国として大いに損な状態になるのではないのでしょうか。」と問います。この大臣の言葉を聞いた昭襄王は頷いてしまいます。
そして昭襄王はこの意見を採用して、孟嘗君が秦へ来たら捕えて殺害してしまおうと考えます。そうとは知らずに秦の国へ入国した孟嘗君は昭襄王から大いにもてなされた後、豪華な宿舎へ案内されて宿泊することになります。しかし孟嘗君はその翌日から外へ出ることはできず、宿舎の周りには大勢の兵によって囲まれてしまうことになり、監禁されてしまうのでした。
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