ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志のミステリー」のコーナーです。
「三国志」の著者である陳寿(ちんじゅ)は当初は蜀に仕え、その後は晋に仕えました。
そこで「諸葛亮集」を撰著し、司馬炎(しばえん)に奉呈して認められることになります。
諸葛亮孔明と陳寿には深い因縁がありました。
陳寿が三国志を完成させたのは、晋が呉を滅ぼし天下を統一してからのことになります。
この65篇から成る歴史書は司馬炎の命令によってすぐに写しとられ、
高官たちは先を争って読んだそうです。
魏書を執筆中だった名文家の夏侯湛 (かこうたん)は、
三国志の出来栄えの素晴らしさを見て己の著書を破り捨てています。
その後「正史」とされ、「魏書30巻」「蜀書15巻」「呉書20巻」から成るこの歴史書には、
多くの英雄の功績が記されています。
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街亭の戦い
陳寿は諸葛亮集を撰著していますが、諸葛亮孔明には実際に会ったことはありません。
なぜなら陳寿が生まれたのは諸葛亮孔明が亡くなる前年だからです。
陳寿の物心がついた頃には諸葛亮孔明は伝説上の英雄となっています。
さらに、時の刻みだけをみると両者はニアミスなのですが、
陳寿が諸葛亮孔明に会うことができない理由がありました。
それが228年の「街亭の戦い」での大敗です。
第一次北伐と呼ばれる蜀の魏領への侵攻は、この街亭の要衝を失い瓦解したのです。
敗戦処理の中で主将であった馬謖(ばしょく)は処刑されています。
有名な「泣いて馬謖を斬る」のシーンですね。何度か紹介させていただきました。
陳寿の父親はこの馬謖の参軍だったのです。
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陳寿の生まれ
参軍というのは、後漢末期に新設された官位で将軍の補佐役です。
参謀と同義とされています。
つまり陳寿の父親は馬謖からかなり信頼されていた人物だったわけです。
もしかすると実戦経験が乏しい馬謖を案じて、
諸葛亮孔明が付けた実力のある兵法家なのかもしれません。
しかし馬謖は敗戦し、街亭を失います。蜀軍は撤退を余儀なくされました。
以前にもお話したように、このとき陳寿の父親は髠刑(頭髪を剃る刑)に処されています。
命を失うことはありませんでしたが、罪人として生き続けることになります。
これが陳寿の生まれる5年前の話です。
陳寿は何も知らずに蜀の巴西郡の安漢県で生まれました。
親族も知り合いも誰もいないような辺境の地でひっそりと育つことになります。
師・譙周(しょうしゅう)との出会い
陳寿は父親の手ほどきで「経書」を学びました。
父親は息子の才に気が付き、さらに鍛えることを考え、
蜀の学者のなかで筆頭とされた「譙周(しょうしゅう)」に弟子入りさせることを決断します。
譙周もまた巴西郡の出身でしたから陳寿も高名は聞き及んでいたようです。
父親は陳寿に紹介状を持たせて成都へ向かわせます。
かつて馬謖の参軍を務めた人物ですから、コネクションは持っていたのでしょう。
譙周も陳寿の父親のことを知っていたようです。
こうして陳寿は譙周のもとで「書」と
「春秋三伝」について直接指導を受けることができるようになりました。
さらに「史記」と「漢書」についても教えを受けています。
陳寿は歴史に精通していくことになるのです。
蜀の滅亡
陳寿は譙周の推挙で蜀の観閣令史という文書官となり、蜀の朝廷に仕えることになります。
皇帝・劉禅(りゅうぜん)も50歳を過ぎており、宦官の黄皓が実権を握っていました。
陳寿はこの黄皓に睨まれることになり、
あらぬ疑いをかけられて官を剥奪され、下野することになります。
やがて魏の鄧艾が成都に迫り、そこで譙周が速やかに降伏することを劉禅に勧めました。
蜀は滅びたのです。
魏の最大権力者である司馬昭(しばしょう)はこれがあって無血開城できたことを知り、
譙周を陽城亭侯に封じました。
そして洛陽に上ってくるように命じたのです。
その頃の陳寿は無官の徒であり、故郷である安漢県で隠棲しています。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
ん!?何がミステリーなんだ!?
そうですか?これだと特に違和感はないでしょうか・・・。
私には違和感ありまくりなのですが。
それでは、ミステリー自体が何のかは次回お伝えします。
ぜひ皆さんも考えてみてください。
次回記事:三国志の著者・陳寿のミステリー 後編:三国志はどうやって完成したの?
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