広告

曹操に意見を申す!魏の法律の欠点を指摘して新しい運用をアドバイスした改革者・高柔

2017年10月9日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

 

三国志の魏は色々な法律が定められておりました。軍事に従事する兵士達にもしっかりと法律が定められており、逃亡すればその兵士だけが殺害されるだけでなく、一族にも被害が及ぶことになっていたそうです。今回登場するのは曹操に仕え、その後曹丕(そうひ)曹叡(そうえい)曹髦(そうぼう)と四代の君主に仕えることになった法律の運用者として的確な運用を行っていた高柔(こうじゅう)です。

 

彼はある逃亡兵の妻子を助ける際、法律の適用が正しいかを調べて曹操にアドバイスを行ったそうですが、一体どのようなアドバイスを曹操へ行ったのでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



法律に携わる官職に任命される

 

高柔は曹操に仕え各職を歴任した後、曹操から法律に携わる官職を与えられることになります。彼は法律に携わる官職を与えられると「安定を招くには礼を基本とし、乱世を治めるには政治に必要なものは刑罰であると言う。

 

サッカーボールを蹴る劉邦

 

漢の劉邦(りゅうほう)は秦キツイ法律を廃し、蕭何(しょうか)に新しい法律を制定させた。君の判断は公平かつ妥当性に優れており、法律にも詳しいが、法律を乱用して裁可をくださないように気をつけてくれ」と言われたそうです。こうして高柔は法律に携わる官職に就くことになるのですが、彼がこの官職をもらってからすぐに事件が発生することになるのです。

 

 

合肥で事件発生

 

 

曹魏と孫呉との重要拠点である合肥(ごうひ)。この地駐屯していた兵士が逃亡する事件が発生します。この逃亡兵の名は宋金(そうきん)といい、彼は兵士達を鼓舞するための軍楽隊の所属でありました。曹魏の法律では逃亡した兵士は処断され、逃亡した兵士の家族にも重い刑罰が加えられることになっておりました。

 

宋金には奥さんと母、弟がいましたが、彼らは全員奴隷となってしまうことが決定。こうして事件は一件落着。しかし高柔はこの事件はまだ解決を見ていないと考え、法律の運用をこのままにしていいのかどうかを自ら検討します。彼はこの逃亡兵に対しての法律の運用方法をこのままにしては、いずれ大事件を引き起こす可能性があると判断を下します。そして曹操へアドバイスを行うことにします。

 

関連記事:表向き武力を用いない王朝交代劇「禅譲」、曹操と荀彧の思惑は?

 

まだ漢王朝で消耗してるの?

 

 

逃亡兵に対しての法律の運用方法改善を求める

 

高柔は曹操の元へ行き、合肥の駐屯地から逃亡した事件に対しての意見を述べます。彼は曹操へ「兵が駐屯地から逃亡するのは良くないことであります。しかし兵士達から聴取した所では、時々駐屯地から逃亡したことを公開している兵士も少なからずいるとのことでした。

 

私の私見を申せば、逃亡兵の妻や子、母親に対して寛大な処置をしたほうがいいのではないのかと考えます。その理由として逃亡兵が軍に帰ってくるように促すことができるからです。従来の法律では妻子達に対しても厳罰な処断が下されて、逃亡兵が軍へ帰還する望みを断ち切るものでした。

 

さらに殿は兵士が駐屯地から逃亡した際、さらに重い刑罰を加えようとなさっていると聞き及んでおります。これ以上逃亡兵や兵士の妻子達に対して重い刑罰を加えれば、集団で逃亡する可能性があり逃亡兵を処断することが、難しくなってくるのではないのでしょうか。集団逃亡する兵士が多発するようでは刑罰を重くしても兵士の逃亡を防ぐことができず、役に立たないと思われます。」とアドバイスを行います。曹操は彼の意見を聞いて「君の言うとおりである」と述べて、逃亡兵に対しての刑罰を重くすることをやめたそうです。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

宋金の兵士達は高柔のおかげで奴隷の身分から救い出され、平民に戻ることができました。さらに曹操が逃亡兵に重罰を加えることをやめて少し緩和する政策をとったおかげで、逃亡する兵士が以前よりも少なくなったそうです。法律の運用方法を改善した彼の成果のおかげではないのでしょうか。

 

参考 ちくま文芸文庫 正史三國志魏書4 今鷹真・井波律子著など

 

関連記事:もし曹丕が夷陵の戦いの後に蜀に攻め込んでいたら蜀はどうなった?

関連記事:もし龐統が落鳳坡で亡くならなければ蜀はどうなった?

 

三国志ライフ

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

-三国志の雑学
-