映画「空海−KU-KAI− 美しき王妃の謎」の公開で大いに注目を浴びている、中国・西安。
空海が渡った唐の時代には長安と呼ばれていました。
私ことよかミカン、西安に行ったことがありますので、空海が修行した「青龍寺」が
どんな場所だったかご紹介させて頂きます!
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青龍寺はどういうお寺?
※イラストもイメージです
西安の青龍寺は、隋の開皇2年(西暦582年)、
霊感寺という名前で創建されました。
青龍寺と改称されたのは唐の景雲2年(711年)です。
唐の武徳4年(621年)にいったん廃寺となり、翌年再建しましたが、
会昌5年(845年)、会昌の廃仏(武宗皇帝によって採られた
仏教弾圧政策)によって廃寺になりました。
唐末からの動乱ですっかり埋もれてしまっていましたが、1973年に塔の土台と殿堂が
発掘され、以後少しずつ建物が再建され、今ではピカピカの建造物が建ち並ぶ
大きなお寺になっています。
1986年には日本から桜の木1000株が贈られ、毎年花を咲かせているそうです。
空海は唐の貞元21年(805年)に青龍寺を訪れ、
恵果和尚に弟子入りし、密教の教義を学びました。
日本に帰国後、空海は高野山に金剛峯寺を建立し、
真言宗を開きました。
現在ちょくちょく耳にする「四国お遍路」は空海の足跡をたどり
八十八ヶ所の霊場を巡拝することですが、四国の一番札所~八十八番札所の他に、
西安の青龍寺が「0番札所」となっているそうです。
所在地は、西安の城壁の外、3kmほどの地点です。
青龍寺に行った経緯
ここから先は私のろくでもない個人的な体験談ですが、現地の雰囲気を感じて頂くには
案外そういうのもいいかもしれません。
私は西安へは出張で行きました。仕事が終わって帰国便までに一日半の余裕が
あったので、一緒に出張に行った年配の男性社員の方と一日半タクシーを借り切って
観光するはずだったのですが、一日目の観光を終え翌日になると相棒が
「あのさあ、タクシー、キャンセルしてくれる?ぼくは中国の国産車の乗り心地がどうもね」
と言うので、二日目は私一人が初日に仲良くなった運ちゃんに乗っけてもらって
西安観光しました。
相棒はホテルでゆっくりして売店でお土産でも買って過ごすとのことで。それで満足なんですと。
そもそも、仕事で中国に来ただけで、西安にとりたてて思い入れもない方だったので。
初日に兵馬俑を見たらもう満足されたようです。
で、私は運ちゃんにおすすめスポットを案内してくれるようお願いしたら、
「じゃあチンロンスーはどうですか?」と言われました。
「なにそれ?」
「え、知らないんですか? チンロンスーですよ。日本とたいへんゆかりの深い。
日本の偉いお坊さんのコンハイが修行をしたところです!」
「さあ、ぴんときませんなぁ…」
「じゃあアーペイチョンマーリーは?」
「あ、阿倍仲麻呂(アーペイチョンマーリー)? 知ってます、
日本から中国に留学して中国で官僚になったゴッツ賢い人!」
「そうそう、そのアーペイ先生の書いた詩が石に刻んであるものが
回廊に展示してありますから行きましょう!」
コンハイが空海のことであったというのは、帰国してから気付きました。
時代を超えて愛される中国四大奇書「はじめての西遊記」
青龍寺の印象
広々として、なだらかなアップダウンのある敷地に、池があったり円盤状の石がしいてある
遊歩道があったりと、散策していて気持ちの良い場所でした。所々に建物があり、
回廊の壁に詩の刻んである石版が並んで貼られているような場所もありました。
いろんな有名な方の詩句があり、いくつかは阿倍仲麻呂のものでした。
運ちゃん:「読めますか?」
「う~ん、漢字の意味は見てなんとなく分るんですが、詩の内容は分ったような分らないような。
運転手さんは読めますか?」
「あははは、私もおんなじ感じですよ」
「なんか素敵な詩っぽいですねぇ」
「そうですねえ、美しい詩っぽいですねぇ」
若くて素朴で礼儀正しく可愛い顔立ちの運ちゃんと並んで歩きながら
分ったような分らないような美しげな詩を眺めて散策するのはなかなか素敵な時間でした。
たぶん先方も《大和撫子(やまとなでしこ)とデート…》と思っていたことでしょう。
デートじゃありませんけど。
お堂の中では何か法会が行われている様子で、30人くらいの信者の方々が
盆踊りのように輪になりながら歩きつつ、トランスミュージックのようなものを
声をそろえてえんえんと歌っていました。お経でしょうかね。
よく分りませんが、密教っぽい雰囲気を感じました。
三国志ライター よかミカンの独り言
碑とか展示室とかいろいろあったようなのですが、
なんの予備知識もなく行ったもので、
感じのいいお寺を散策しただけとなってしまいました。
予習してから行っていれば、この場所で1200年以上前に空海さんが修行したんだなぁとか
廃仏運動以後ずっと埋もれていたのかぁとか、感慨にふけることもできたと思います。
とは言え、行ってみればいいこともあるもので、不思議な雰囲気のトランスミュージックが
聞けたのはよかったです!
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