多くの読者は江戸時代の裁判は拷問による取り調べで被告人が不利という印象を受けるかもしれません。この記事では江戸時代の刑罰、今では罪にならないことが江戸時代に罪になる事例を取り上げます。
身分によって刑罰が異なっていた
江戸時代は士農工商と呼ばれるように身分制度がありました。身分制度があったため、身分によって適用される刑罰が異なっていました。最初に、切腹について取り上げます。切腹は刑罰の一種で、身分の高い武士にのみ適用されました。下級武士については庶民と同様、磔や獄門にされました。
武士以外では、庶民・僧侶・女性によって刑罰が異なっていました。女性では奴という奴隷として払い下げられる刑罰がありました。また、剃髪という髪の毛をそる刑罰もありました。庶民への刑罰で人足寄場がありました。人足寄場は現代の刑務所のことを指します。刑罰の内容は労役で、現代では身分に関係なく適用されますが、江戸時代は庶民だけに適用されました。僧については身分を剥奪される追院・退院、一門や宗旨から追放される一宗構い・一派構いなどの刑罰がありました。他の身分では適用されていません。
不倫は犯罪?男女関係に関する罪がすごい
現代では不倫は犯罪ではありませんが、江戸時代は犯罪でした。ここでは江戸時代の不倫に対する罪について取り上げます。江戸時代において不倫は姦通または不義密通と呼ばれていて、犯罪行為でした。姦通の場合、被害者が訴えない限り表沙汰になりません。
現場に乗り込むなど動かぬ証拠を掴まないかぎり不倫かどうかを見極めるのが難しい犯罪でした。また、当事者が話し合って和解金を支払うことで解決することが多く、訴訟になることはありませんでした。当事者が冷静に話し合っても成立しない場合に限り、訴訟を受け付けました。主な不倫に対する刑罰の内容は次の通りです。姦通(不倫)の場合、男女ともに死罪です。主人の妻との姦通した場合は獄門で、既婚者の女を強姦した場合は死罪などかなり厳しい刑罰でした。
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一番むごい罪は「獄門」「磔」
現代の刑罰には身分に関係なく主に罰金・禁固刑・刑務所での懲役刑・死刑(絞首刑のみ)があります。江戸時代の刑罰は身分によって異なったり、遠島などの追放刑があったり、死刑の種類がさまざまあったりしました。ここでは、死刑の種類に注目します。
江戸時代の死刑については庶民に公開されていました。死刑の様子を大勢の見物人が見届けていたと言われています。死刑の中で一番重いのが磔です。磔とは刑場で刑木に磔にされ、突き手が槍や鉾で数十回突き刺します。執行後もその死体はすぐには撤去されず、三日間晒されていました。次に、獄門について取り上げます。獄門の場合、最初に牢屋で死刑が執行されます。磔とは異なり執行するところは公開されませんが、死刑囚の首は刑場で罪名を書いた木札とともに三日間台の上に晒されます。
獄門・磔以外では火罪が挙げられます。この刑罰は放火犯にのみ適用されます。馬で市中引き回しの後、刑場で刑木に磔にされます。磔とは異なり、火あぶりで処刑されます。死後三日間その遺体が晒されます。
罪を犯しても再チャレンジのチャンスはあった?
江戸時代の松平定信による寛政の改革で、現代の刑務所の前身となる人足寄場ができました。寛政の改革の頃、仕事がなく犯罪が多かったことで、手に職をつけさせて犯罪を抑止するのが人足寄場の狙いでした。人足寄場で手に職をつけることで社会復帰ができましたが、窃盗犯の前科があると社会の復帰の障害となっていました。窃盗犯の場合、刺青という刑罰が適用されます。体に刺青を描かれ、これが3回適用されると死罪となる刑罰で、体に刻み込まれた刺青を消すことができませんでした。刺青を見れば前科者とわかります。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は江戸時代の刑罰について取り上げました。江戸時代の刑罰は身分によって異なり、様々な種類があったことから当時裁いた役人は複雑で混乱しなかったのかと気になった人がいると思います。
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