明代に『三国志』に基づいて創り出された『三国志演義』とでは、
全くの別人のように描かれている人物もチラホラ。
たとえば、公孫瓚は正史『三国志』その他
当時残されていた文献資料では
嫉妬に狂ってライバルともいえる劉虞を
ケチョンケチョンにいたぶって殺した挙句、
あることないことと吹いて回った
とんでもない極悪野郎とされているのに、
『三国志演義』では劉備と同じ師を仰ぐ、
劉備にとってのよき兄のような存在として華麗に転身。
実は、蜀漢を語る上で外せない、
趙雲も『三国志演義』で華麗なる大変身を遂げた人物の一人。
正史『三国志』ではものすごくあっさりふんわりしていた彼も、
『三国志演義』では盛りに盛られて
目の覚めるような活躍ぶりをみせるナイスガイに。
それにしても、こんなに持ち上げるなら
いっそ趙雲も桃園の誓いのメンツに
入れちゃっても良かったんじゃないですか!?
しかし、それが叶わなかったのには、
色々と複雑な大人の事情があったようです…。
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実は劉備より年上だったっぽい趙雲
冷静な判断で蜀軍を牽引し、
白い馬にまたがって戦場を颯爽と駆け抜ける美しい若武者…。
なんとなくそんなイメージが定着している趙雲。
女性陣の心を鷲掴みにする彼ですが、
実は、生没年不明の謎多き人物なのです。
劉備が趙雲と出会ったときには、
趙雲は公孫瓚の元で一隊を率いていたわけですから、
劉備よりめちゃくちゃ年下ということは絶対になさそう…。
いや、むしろやっぱりちょっと年上っぽい雰囲気…。
しかし、趙雲を臣下に迎える前から
趙雲にフランクに話しかけている劉備を見ると、
趙雲って劉備と同い年か年下…?
さらに、『三国志演義』では
劉備より1つ年下とされている関羽が
趙雲のことを弟みたいに言っていますから、
やっぱり趙雲は劉備より年下かもしれません。
ところが、桃園3兄弟亡き後の北伐で、
鄧芝に「70歳には見えない」と言われている趙雲。
逆算してみると、
やっぱり劉備より年上ということに…!
趙雲は童顔だったのでしょうか…。
あまりのことに鄧芝の台詞が間違っているとも言われているのだとか。
しかし、間違いではなかったとしたら…。
他の3人と比べて一番年上の趙雲を
桃園メンバーに入れてしまったら、
主君であるはずの劉備が
長兄を名乗ることができなくなってしまいます。
この辺りの事情もあって
趙雲は桃園兄弟に入れなかったのでしょう。
死する時は同じ!…ではなかった趙雲
「我ら生まれし時は違えども、
死する時は同じ!」
そう言って兄弟の盃を酌み交わした
劉備・関羽・張飛の3人。
何とも美しい情景が浮かんできます。
まず関羽が呉の呂蒙に捕まって先にあの世へ旅立ち、
その後張飛が部下の裏切りに遭って後を追い、
弔い合戦ともいえる夷陵の戦いの最中に
心労がたたってか、劉備も病に臥して死去。
おおむねその誓い通り、
時を同じくして立て続けに亡くなった3人。
3人が誓いを守ったからこそ、
この3人の桃園の絆が強固なものとして
読者に強く印象付けられるのです。
一方、趙雲は3人が死んだ後も長く生き、
生涯をかけて蜀に貢献し続けます。
趙雲が亡くなったのは3人よりも大分後。
そんな趙雲を桃園兄弟に入れてしまったら、
「死す時は同じ!」
という誓いの文句がかすんでしまいますよね。
桃園で誓い合った言葉を
ただの口約束で終わらせないためにも、
趙雲は桃園兄弟に入れてもらえなかったのでしょう。
3人とテンションが違いすぎた
飛びぬけてテンションが高い張飛の突飛な言動は
桃園3兄弟の中でも困ったちゃん扱いされていますが、
他の2人もなんだかんだでテンションが高いです。
劉備は一度決めたら頑として動かず、
誰が何を言っても聞き入れない
でもでもだってちゃんですし、
関羽も人の話をあまり聞かず、
煩わしく思った相手は
青龍刀の錆にすればいいと思っている節があります。
そんな短所も可愛らしい3人に対し、
趙雲にはこれといった短所が見当たりません。
どんなときでもテンションが低めの彼は、
ハチャメチャな3人の中ではキャラが立ちません。
また、常に冷静沈着で非の打ち所の無い彼が
桃園兄弟に加わると、
他の3人の面目が丸つぶれになってしまうのです
そういうわけで、
趙雲は桃園兄弟に入れてはいけない人物なのです。
それでも他の2人に負けないくらい愛された趙雲
『三国志演義』で劉備・関羽・張飛と共に
桃園で誓いを立てることは叶わなかった趙雲ですが、
関羽や張飛に負けないくらい劉備に愛されていたとされています。
何をするにもどこに行くにも
常に一緒だったという劉備と趙雲。
劉備と趙雲の間には、
ただあえて名前を冠されることが無かっただけで、
桃園の誓いとはまた別の
それも桃園の誓いに負けないくらいの
何かがあったことでしょう。
※この記事は、はじめての三国志に投稿された記事を再構成したものです。
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