広告

武田信玄のご先祖様は?甲斐の虎のルーツに迫る

2018年12月29日


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

 

武田信玄

 

甲斐(かい)の虎と称され、優れた戦術だけでなく、その善政でも知られる武田信玄は、生まれながらのサラブレッドだったのでしょうか? 信玄のように有名な戦国武将であっても、そのご先祖様のことまではあまり知られていません。この記事では、現在でも大人気の戦国武将である信玄の、ご先祖様について解説していきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



武田信玄のルーツに迫る!ご先祖様は、清和源氏だった

武田信玄のルーツに迫る!ご先祖様は、清和源氏だった

 

清和源氏(せいわげんじ)」「桓武平氏(かんむへいし)」という言葉を聞いたことはありますでしょうか?

 

どちらも、多くの戦国武将の一族のルーツになっています。武田信玄が生まれた武田一族は清和源氏の流れを汲んでいます。1031年、清和源氏の惣領・源頼信(みなもとのよりのぶ)が甲斐守として着任し、それ以後頼信の子孫が甲斐国巨摩郡を占拠するようになっていったのです。頼信の子である頼義(よりよし)、そして孫の義光(よしみつ)はいずれも関東地方に国守として就任しています。そして、義光の次男である義清(よしきよ)のときに土着するようになったのです。そして、義清と子の清光は荘園(しょうえん)を成立させていき、権力を拡大させていったのです。この清光こそが甲斐源氏の祖とされており、その子どもたちが甲斐国を発祥とし、武田一族をはじめとする多くの氏族を築いていったのです。ちなみに、信玄のご先祖様が支配していた甲斐国巨摩郡は、今より1000年近く前から、名馬の産地として知られていました。このことも、信玄が優れた騎馬隊を作り上げることができた理由のひとつとなっているのです。

 

 

 

そもそも清和源氏、桓武平氏って?

そもそも清和源氏、桓武平氏って

 

武田信玄のルーツは清和源氏ですが、「高校の日本史の授業で清和源氏、桓武平氏について習ったはずなのに、いまひとつよく分からない…」という人もいるのではないでしょうか?清和源氏も桓武平氏も武家の棟梁(とうりょう)であり、全国の武士たちをまとめる一族でした。両氏とも、もとは天皇家につながる、高貴な家柄です。どちらもルーツは平安時代の初期とされています。清和源氏は、清和天皇の孫である経基(もとつねおう)が、臣下となって源姓を賜ったのがはじまりであり、桓武平氏は、桓武天皇の曾孫、高望王(たかもちおう)が、臣下となって平姓を賜ったのがはじまりです。

 

臣下になる、というのは、もともと天皇家の人間だった人が、姓を賜って天皇家から離れることです。今もそうですが、この時代も天皇家の人間には苗字がなかったのです。有名な例だと、平安時代に紫式部が執筆した源氏物語の主人公、光源氏が臣下になるというものがあります。また、清和源氏からは源頼朝(みなもとのよりとも)が、桓武平氏からは平清盛(たいらのきよもり)がそれぞれ出ています。どちらも知らない人はいない、ビッグネームですね。

 

アンゴルモア合戦記の特集

 

 

信玄は武田家19代当主だった

 

清和源氏の流れを汲む武田家ですが、信玄は19代当主でした。信玄の父、信虎は18代当主ということになります。では、武田家の初代当主は誰だったのでしょうか?武田家の初代当主は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した、武田信義でした。この信義から、武田家がスタートしていったのです。

 

 

戦国時代ライター星野まなかの独り言

戦国時代ライター星野まなかの独り言

 

今回は、あまり知られていない、武田信玄の先祖について紹介していきました。信玄→ほとんどの人が知っている 信虎→日本史好きなら知っている 信義→ほぼ全ての人が知らない という感じだと思いますが、この信義、残されている肖像画を見ると、現代の感覚からしてもけっこうイケメンなのです。信義は親族の新田義重(にったよししげ)と親交があり、また、優れた武術の腕前を称され、源頼朝、木曽義仲(きそよしなか)と並んで東国の武士トップ3とされていたのです。そんな信義を先祖に持つ信玄は、生まれながらのサラブレッドだったのですね。近年の研究で分かってきたことですが、無名の武士とされていた北条早雲も名家出身であったりするなど、下克上のイメージが強い戦国武将も実は家柄重視だったのかもしれません。それとも、名家だったからこそ素晴らしい教育を受け、才能が花開いたのでしょうか。

 

関連記事:上野攻略戦に赴く武田信玄の戦略とは?

関連記事:武田軍の西上作戦はなぜ失敗してしまったのか?武田信玄の病が関係していた?

 

俺達尊攘派

 

 

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
星野まなか

星野まなか

歴史上の偉人から人生の教訓を学んでいます 好きな歴史人物:諸葛亮孔明、織田信長 何か一言:文献を読むことが好きです。 「はじさん」に関わらせていただけることをとても嬉しく思います。

-戦国時代 (日本)
-