鎌倉時代はもちろん、現代のように整った医療制度や治療方法はありませんでした。鎌倉時代からずいぶんと進んだ江戸時代でさえ、医療環境が整っていなかったということが、マンガや小説などからも知ることができます。では、鎌倉時代の人々は病気になったとき、どのようにしていたのでしょうか?また、寿命はどれくらいだったのでしょうか?
意外と長生き!?鎌倉時代の平均寿命は?
鎌倉時代、僧侶が医者としての役割を担っていることも多く、庶民から貴族まで、「具合が悪くなったら僧侶に診てもらう」ということが一般的でした。また、鎌倉時代の平均寿命は24歳ほどでしたが、これは乳幼児死亡数が圧倒的に多かったため、このような低い平均寿命になっています。鎌倉時代は凶作が続き、飢饉もあったため、生まれたばかりの子どもを親が川に捨ててしまう、ということも珍しくなかったのです。
しかし、長生きする人は70〜80歳というように、現代の日本人の平均寿命とさほど変わらない年齢まで生きていました。鎌倉時代、乳幼児で亡くなってしまう場合を除き、長生きする人とそうではなかった人の間にはいったいどのような違いがあったのか、見ていきましょう。
貴族と武士の寿命の違い〜罹る病気も違っていた?〜
平安時代から鎌倉時代にかけて、貴族は豪華な食事をしていましたが、栄養バランスはとても偏っていました。地方で採れた新鮮な食物を京の都に運んでくるのには時間がかかったため、貴族たちの食事は保存食が中心でした。この食生活と運動不足が原因で、貴族は結核や脚気などで亡くなることが多かったそうです。
しかし、それでも鎌倉時代の貴族の寿命は40〜50歳ほどでした。ちなみに、貴族の生活様式を真似ていた平氏も同じような食生活をしていたのに対し、源氏は新鮮な肉などを形式にとらわれることなく食べていたため、両者では体力に大きな差があったそうです。
さて、玄米を主食とし、少ない品数ではありながら肉や野菜、魚介類をバランス良く食べていた源氏方の武士たちは、貴族と比べると健康的であったということができます。しかし、実際には戦で命を落としたり、暗殺されたりするだけでなく、極度のストレスで免疫が低下して心臓病などの病気になることがあり、30歳になる前に亡くなることも多くありました。中には70歳近くまで生きた武士もいましたが、戦乱の世の中であり、現代より長生きすることがはるかに難しい時代だったのです。
鎌倉時代の有名人は何歳まで生きたのか?
鎌倉時代の有名人は何歳まで生きたのでしょう?
まず、源頼朝は満51歳でした。落馬が原因で体調を崩し、亡くなったとされていますが、糖尿病だったという説もあり、はっきりとしたことは分かっていません。源義経は満30歳、木曽義仲も同じく満30歳で亡くなっています。義経は衣川の戦いで自害、義仲は顔面に矢を受けて亡くなりました。
頼朝の妻、北条政子は満68歳まで、そして政子の父であり初代執権となった北条時政は満77歳まで生きました。このふたりは、鎌倉時代にしてはとても長生きだったということができます。ふたりとも病で亡くなった、とされています。もし、暗殺されるようなことがなければ、比較的栄養バランスのとれた食事をし、日常的に身体を動かしていた鎌倉時代の武士たちはけっこう長生きをすることができたのかもしれません。
2代執権北条義時の死因
強引な独裁政治を行った2代執権北条義時は満61歳で亡くなり、死因は脚気とされています。また、御成敗式目を制定し、温厚な性格で人々から慕われた3代執権北条泰時は満59歳で亡くなっており、死因は過労により、赤痢をおこし、高熱を出して亡くなったといわれています。今からおよそ800年ほど前、医療が発達していない時代にしては、意外と長生きだったといえるのではないでしょうか。
しかし、元寇のときに元軍を迎え討ち、大活躍した北条時宗は満32歳という若さで亡くなっています。元寇だけでなく、北条氏の内輪揉めなど、ストレスになるような出来事がたくさん起こったことも関係しているのでしょうか?時宗の死因は、心臓病だったのではといわれています。
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