戦国時代、それは、勝つためにありとあらゆる妨害を敵に仕掛けた時代でした。
名もない雑兵達の語る逸話を集めた雑兵物語では戦場は飢饉だと思うべしと前置きし決して甘くない戦場サバイバルの生き残り方を伝授しています。今回は、そんな雑兵が体験する過酷な戦場でサバイバルする方法について解説します。
井戸の水サ飲むでね!○○が入っとる
戦国時代の戦場において、一人の雑兵には一日一升(1.8リットル)の水が割り当てられていました。しかし、そうは言っても味方の領地なら兎も角、右も左もわからない敵地に入ればどこに水があるかもわからない状態になります。食糧なら気力で我慢も出来ますが、水がない喉の渇きは雑兵たちを苦しめました。
そんな時、住民が逃げた村で井戸を発見したとしましょう。
「やった!水だ」普通なら思わず井戸に駆け寄りたらくふく水を飲むでしょうが戦のベテランである雑兵たちは、井戸水は飲むなと忠告します。
「敵地の井戸の水を必々飲まないもんだぞ、底にはおおかただらを沈めるもんだ
あたるべいぞ、川の水をのむべいぞ」雑兵物語荷宰料
ここで言う、だらとは北関東の言葉でウンコの事です。敵に水を与えまいと卑劣にも井戸に毒ならぬウンコを沈ませていたんですね。そんな水を飲んだら下痢になったり食中毒で命にかかわります。なので、ベテランの雑兵たちは井戸水はダメだ、川の水を飲めというのです。
川があっても油断すっでね!
だが、近くに川があっても安心は出来ません。戦場になっている村なら上流から腐乱死体が流れてくる事も考えられ、そうでなくても敵が上流からウンコ(またか・・)を流して川を汚染する事も大いに有り得るからです。そんなときの為にベテラン雑兵はこんなものを用意していました。
「夫れとても、国がかわれば水もあたるもんだ。
陣中にはあん仁を持ってきて絹に包んで鍋に入れ、その上澄み水だけをのんだがよい。
また本国のたにしを陰干にして鍋にいれ、その上水をのんだも良いもんだ」
雑兵物語荷宰料
あん仁とは杏仁豆腐のあんにんで、杏の実の事です。種を割ると中に核中という柔らかい部分がありそれが杏仁と呼ばれ解毒効果があるそうです。また、たにしは田圃に自生する巻貝で、これも陰干すると消毒になるそうです。
川もねえ時は泥水を啜れ
さらに川もなく、水を沸かす方法もない時はどうするのか?
その場合には、泥を濾して上澄みを飲むか、死骸の血を啜るか草木を齧って水分を取るか、そのような方法しかないようです。まさに泥水を啜り草を食みという状態ですが、当時の戦場ではそれはありきたりの風景であったそうです。冒頭で雑兵たちが語ったように、まさに戦場は飢饉なのでした。
漫画「花の慶次」では、籠城戦で渇きに苦しむ慶次に養父の前田利久が自分の腕に刀で傷をつけその血を啜って渇きを癒すように言う描写がありますが、あれは本当だったわけですね
食えそうなものは何でも拾っておくべ
水以外にも戦争が長引くと、定期的に食糧が届くのも稀になります。それもあたりまえで敵は、そのような食糧を運ぶ荷駄部隊を執拗に狙ったからでした。そこで、いつまでも食糧があると呑気にしてはならぬとベテラン雑兵が忠告します。
「敵地では、目につく限り手に触り次第のものは拾っておけ
草木の実は言うに及ばず、枯れ葉だって馬の餌だ。
松の皮はよく晒して粥にして食べたら良かろう。
大雨が降ったり、川を渡ったりすると細首に結びつけた籾が水を含んで芽が萌え出る
これが田に植えてもよさそうなくらいに伸びたら、葉や茎と一緒に食ったらよいものだ。
炊飯の薪は、一人分一日分で八十匁程(300g)必要だが、大人数で一カ所に集まれば、
この程度でも用が足りる、薪がない時には乾いた馬の糞を用いろ」
荷宰料八木五蔵の証言
ナポレオンは軍隊は胃袋で動くと書いていますが、まさにどこまでも食!食!いかに少しでも多く食糧をかき集める事に雑兵たちが心を砕いていたかが分かります。
参考:講談社文庫:絵解き雑兵足軽たちの戦い 東郷隆
戦国時代ライターkawauso編集長の独り言
戦場は飢饉と同じと心得よとは、何ともすさまじい話です。物理的に敵兵に殺される危険より、病気や渇きや飢えで死ぬ事も多かった様子が戦場を往来したベテラン雑兵の言葉の端々から伝わってきますね。
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