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一条美賀子とはどんな人?徳川慶喜の正室だった病弱な美女を解説

2019年2月20日


 

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大政奉還した徳川慶喜

 

今回は一条美賀(いちじょう みかこ)子について取り上げます。一条美賀子は1998年の大河ドラマ『徳川慶喜(とくがわよしのぶ)』で、美賀という役名で登場します。2018年の大河ドラマ『西郷どん』では、正室ではなく徳川慶喜が江戸で遊んでいた「ふき」という名前の女性が登場します。このふきという女性は徳川慶喜の妾になったといわれています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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一条美賀子とは?

一条美賀子

 

一条美賀子は1835年に生まれました。実父は今出川公久(いまでがわ きんひさ
)
です。当初、徳川慶喜は関白一条忠香(いちじょう ただか
)
の娘と婚約していましたが、婚儀直前に疱瘡にかかったため、急遽一条美賀子が徳川慶喜と結婚することになりました。

 

1858年、徳川慶喜と美賀子との間に女子が生まれますが、すぐに他界しました。病弱であったため、以降子どもが生まれることはありませんでした。

女子が他界した後、徳川慶喜は将軍後見職となり、14代将軍徳川家茂と共に京に向かうことになりました。1866年に慶喜は第15代将軍となりますが、慶喜は京に留まっていたため長期間別居生活が続いていました。

 

1868年、大政奉還で将軍職を返上し、朝廷に恭順の意思を示すために上野寛永寺や水戸などで謹慎生活に入りました。この時も妻の美賀子と対面することができませんでした。

 

美賀子は徳川慶喜の正室になりましたが、大奥に一度も入っていません。結婚したとき将軍後見職に就任する前であったことや将軍になったとき京にいたことから大奥に入らなかったと考えられます。

 

1869年に慶喜の謹慎が解かれると、静岡で共に暮らすようになりました。1894年に病気のため東京の徳川家達の屋敷に移りますが、手術後の経過が思わしくなく死亡しました。一条美賀子の墓は東京の谷中墓地にあります。

 

 

 

徳川慶喜の静岡での隠居生活

余生をゆっくり過ごす晩年期の徳川慶喜

 

1869年に徳川慶喜の謹慎が解かれると、美賀子は10年ぶりに共に暮らすようになりました。徳川慶喜は10男11女という子だくさんで有名ですが、慶喜の子はすべて側室の間に生まれた子どもです。美賀子は側室との間に生まれた子どもを実の母として育てたといわれています。

 

徳川慶喜は自分の子どもだけでなく、隠居していた静岡の近所の子どもとも分け隔てなく接していました。『徳川慶喜の逸話を紹介!先生が教えない最後の将軍の素顔』では、地元の人から「ケイキ様」と慕われていたことを紹介しています。

 

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は一条美賀子について取り上げました。1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』で、美賀という役名で登場したことはありますが、美賀子は大奥に入っていないため、ほとんどの大河ドラマでは登場しません。徳川慶喜が遊んでいた女性が大河ドラマで登場することが多いので、知名度は高くないと言えます。

 

水戸徳川家は徳川御三家の1つですが、尾張・紀伊の徳川家とは異なり、将軍よりも朝廷との関係を重視しました。『藤田東湖が「せごどん」を生み出した?水戸学のカリスマの生涯』では、徳川光圀の『大日本史』から幕末の水戸藩の尊皇攘夷運動に至るまでの経緯に注目したいというコメントを書きましたが、水戸徳川家の正室が朝廷出身であることも関係があるのかもしれません。

 

最後に、一条美賀子の写真について取り上げます。一条美賀子の写真は残されていて、幕末の女性の写真の中で、最も美しい女性の1人といわれています。ネットの記事によれば、美人過ぎる幕末の女性のランキングで、一条美賀子は3位になっています。

 

ちなみに2位は坂本龍馬の妻でお龍、1位は楠本高子(楠本イネの娘で、シーボルトの孫)でした。他に陸奥宗光の妻亮子、木戸孝允の妻・松子などが上位に上がっていました。身分の高い女性から庶民まで、身分に関係なく幕末から明治維新までの女性の写真から当時の時代背景に注目したいと思います。

 

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ガンバレ徳川

 

 

 

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オフィス樋口

自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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