今回は東京オリンピック(五輪)のエンブレム問題について、発生した原因と現在の市松模様のエンブレムになった経緯について取り上げます。
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最初に決まった東京オリンピックエンブレムとは?
2013年9月に2020年のオリンピック開催地が東京で決まりました。オリンピック開催に伴い、2015年に公式エンブレムが公募によって集められ、審査されました。公式エンブレムが発表され、佐野研二郎氏のデザインに決定しました。
佐野氏のエンブレムが発表されると、オリビエ・ドビ氏がデザインしたベルギーの国立劇場のロゴとデザインが似ているという指摘がありました。オリビエ・ドビ氏はデザインが似ているという点を指摘し、国際オリンピック委員会(IOC)に対して使用を差し止めるように提訴しました。
弁護士がインターネット上の記事で、ドビ氏が佐野氏のエンブレムに対して商標登録されていないことや類似性などを証明することが難しいと指摘し、法的には問題ないという見解を示していました。
使用差し止めの提訴に対して、佐野氏も記者会見において著作権などの侵害に当たらないと反論しましたが、オリンピックのエンブレム以外でこれまでに佐野氏がデザインしたトートバッグなどで類似性が指摘されるなどネット上での炎上は収まる気配がありませんでした。
次に決まった東京オリンピックエンブレムとは?
2015年に東京オリンピックエンブレムは佐野氏がデザインした作品で決まりましたが、著作権問題が指摘されたため白紙になりました。再度東京オリンピックのデザインが公募され、翌年の2016年に新しいエンブレムが決まりました。
新しいエンブレムが決定した経緯について取り上げます。2015年9月に佐野氏のエンブレムが撤回されました。10月にエンブレムに関する応募要項が発表されました。11月24日から12月7日までの応募期間で、2016年春までに新しいエンブレムを決めるという内容でした。
前回の東京オリンピックエンブレムを公募したときと異なり、18歳以上の日本人か日本在住の外国人としている点で応募できる対象を広げています。佐野氏のエンブレム問題を踏まえて、デザインのタイトル・コンセプトの提出義務が課せられました。また、デッサンの段階からエンブレム完成までの製作過程や誓約書の提出も義務付けられました。類似性や著作権侵害の指摘がされた場合でも対応できるように証拠を残すのが狙いだったと考えられます。
再度公募した結果、東京オリンピックエンブレムは決まりました。野老朝雄氏の組市松紋となりました。日本では江戸時代に広まるとともに世界中で愛された市松模様をベースとしています。色は藍色で、藍色は日本の伝統色です。
野老氏のエンブレムは形の異なる四角形を組み合わせていて、国や文化の違いを超えてつながり合うことで多様性を認め合うことを目指す場であることを表しています。
東京五輪ライターオフィス樋口の独り言
今回、2020年東京オリンピック・パラリンピックのエンブレム問題について取り上げました。現在使用されている組市松紋のエンブレムの意味を考えていると、2019年の大河ドラマ『いだてん』の第1回の放送のことを思い出しました。
1964年の東京オリンピックのデザインは宮本武蔵の『五輪書』をベースにしていたことや五輪の話は5大陸の話を表し、多様性を認め合う場であるというプレゼンテーションを思い出しました。
最後に、佐野氏のエンブレムについてニュースでの取り上げられ方やネット上での炎上を見ていると、画像検索などITのツールが充実していることに気付きました。1964年の東京オリンピックのエンブレムについてはITツールが充実していなかったので今回のような問題が起こらなかったといえます。
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