2019年の大河ドラマ『いだてん~オリムピック噺~』の第15回「あゝ結婚」では、ストックホルムオリンピックから帰国した金栗四三が春野スヤと結婚しました。見合いで春野スヤに会ってから翌日に結婚するというスピード婚で驚いた人がいるかもしれません。
今回は、前半で春野スヤについて取り上げます。後半では、金栗四三と春野スヤの結婚生活について紹介します。
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春野スヤとはどんな人?
春野スヤは金栗四三と同じ熊本県玉名市の出身です。熊本県の町医者の娘で、村一番のハイカラな女学生です。大河ドラマでは金栗四三と幼なじみという設定になっています。しかし、実際の春野スヤと金栗四三は幼い頃から接点はなく、初めて会ったのは見合いでした。
春野スヤは資産家の池部家に嫁ぎました。夫が病死したため跡取りがなく、池部家存続のために養子を考えました。金栗四三と春野スヤの共通の叔母である池部磯江が金栗四三を養子にすることを考えました。
金栗四三と池部家との関係は、ストックホルムオリンピックの渡航費を援助したことがあります。第15回「あゝ結婚」では、兄が池部家の養子になることで、費用を気にすることなく競技生活を続けられると四三を説得しました。
金栗四三と春野スヤの結婚生活とは?
金栗四三がストックホルムから帰国して故郷の熊本に帰ったときに兄から見合いの話が出されました。見合いの話に対して、金栗四三は競技生活に専念するために結婚を断ろうとしました。金栗四三はストックホルムから帰国後、次のベルリンオリンピックに向けてトレーニングを始めていました。
兄が強引に進めたことにより見合いを受け入れ、東京にとどまることを条件に春野スヤと結婚することを決意しました。金栗四三は養子となり、姓は池部となりましたが、金栗という姓を使い続けました。
お見合い後に即結婚しましたが、結婚生活5日目で金栗四三は東京に旅立つことになりました。5年間、東京と熊本の別居生活を続けました。別居することが多くなりましたが、金栗四三がアントワープオリンピック・パリオリンピックに参加するまで、四三を支え続けました。
パリオリンピックの後、競技生活を終えました。競技生活を終えると、東京女子師範学校の教師となり、女子のスポーツの普及に努めました。東京と熊本の別居生活を解消し、東京で生活を始めます。1男6女と子どもに恵まれました。熊本の金栗四三の兄が死亡すると、東京での生活を終えて熊本に移りました。
大河ドラマの終わりの数分間放送される「いだてん紀行」では、金栗四三が養子に入った池部家の紹介とインタビューがありました。金栗四三とスヤが水浴びで使用した井戸が残されています。第15回の放送の最後に春野スヤ役の綾瀬はるかが井戸水で冷水を浴びるシーンがありました。いだてん紀行において、金栗四三の孫によると、晩年まで水をかぶって体を鍛えていたことや夫婦で乾布摩擦をしていたようです。夫婦仲がよかったことを思い出していました。
東京五輪ライターオフィス樋口の独り言
今回は、前半で金栗四三と結婚した春野スヤについて取り上げました。大河ドラマでは、金栗四三と春野スヤは幼なじみという設定になっていますが、実際は見合いの時に初めて会っていて、幼なじみではないことが分かりました。
「いだてん紀行」では、池部家の近所に住んでいた住人から金栗四三に関する話をしていました。金栗四三は東京から熊本に移り住んでも忙しい日々を送っていました。熊本の自宅にいないことが多かったことから、近所の住人が金栗四三を見つけると安心したという話をしていました。
第15回放送後の「いだてん紀行」では不在の理由をこの先のドラマでということで取り上げませんでしたが、今後の放送が気になります。
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