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もしも、陳宮が呂布ではなく袁紹を支持して兗州を取らせたらどうなる?【if三国志】

2019年5月11日


赤兎馬にまたがる呂布

 

三国志(さんごくし)』の登場人物の中で1番、いえ、歴史上で1番の裏切り者とまで言われている呂布(りょふ)

 

呂布に仕える袁渙

 

もしも呂布(りょふ)に関する知識を持ったまま三国時代にタイムスリップしたとしたら、絶対に呂布を警戒しますよね。だって絶対裏切るもん。しかし、そんな呂布に一縷の望みを託して曹操(そうそう)が留守中に兗州(えんしゅう)を呂布に取らせた人物がいました。陳宮です。

 

曹操に捕らわれる高順、呂布、陳宮

 

まぁ、当然と言うべきか、最終的に曹操によって呂布と共に処刑されてしまった陳宮ですが、もしも陳宮が兗州(えんしゅう)に招いたのが呂布ではなく袁紹だったとしたら、未来はどのように変わっていたのでしょうか…?

 

今回は、陳宮が呂布ではなく袁紹(えんしょう)に兗州を取らせていたらどうなっていたのか、そんな妄想を繰り広げてみたいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそもなぜ陳宮は曹操に反逆したのか?

陳宮

 

天下の英雄たちと交友し、高名な学者たちと言葉を交わし合って常に己を高めていた陳宮

 

曹操

 

そんな彼が動乱の時代に最初の主君として選んだのは曹操でした。

 

曹操

 

陳宮(ちんきゅう)曹操(そうそう)覇道(はどう)の助けとなるべく、兗州に足を運んで役人たちを説得してまわり、曹操を兗州牧にすることに成功します。

 

裏切った呂布

 

ところが、この陳宮は何を思ったのか曹操が兗州を留守にしている間に呂布を迎え入れて謀反を起こしたのでした。陳宮は一体なぜ曹操に牙をむいたのでしょうか?その理由は判然としていません。

 

袁紹と曹操

 

ただただ曹操に対して不信感を募らせたとか曹操が袁紹と組んで自分を亡き者にしようとしていると思ったとか様々な説がありますが、何が本当の動機だったのかはわからず仕舞いです。

 

 

 

曹操を降せるのは呂布だけだと思った?

成廉、魏越、呂布

 

では、なぜ陳宮(ちんきゅう)兗州(えんしゅう)に呂布を迎え入れたのでしょうか?

 

袁術

 

その当時、天下には呂布の他にも袁術や袁紹といった英雄たちが存在していました。

 

袁術

 

そのため、別に呂布ではなくとも袁紹や袁術といった勢力に頼っても良かったのではないかと思われます。しかし、陳宮にとっては呂布しかいなかったのでしょう。

 

曹操&袁紹花嫁泥棒

 

袁紹はその頃はまだ曹操との関係も良く、曹操を全面バックアップしていたし、袁術は自分の味方についてくれそうだけれど曹操との戦いで大敗を喫するなどどう見ても曹操より弱い…。

 

袁紹

 

また、袁術を味方に付ければもれなく袁紹まで敵に回すことになってしまいます。

では、対抗できる人物は誰か…?

 

呂布、黒山賊

 

袁紹にも袁術にも持て余されるほどの暴れ馬・呂布です。頭の中身はさっぱりだけれど、武力においては曹操より一枚上手。陳宮はそんな呂布をうまくプロデュースすれば曹操を降せると考えたのでしょう。

 

if三国志

 

 

もしも呂布ではなく袁紹を兗州に招いていたら…?

袁紹

 

しかし、陳宮の思惑は外れてしまい、冒頭でも述べたように残念な結果となってしまいます。もしも陳宮が別の人、たとえば袁紹を兗州に招いていたら、この結末は変わっていたでしょうか?

 

正直なところ、答えは「NO」だと思います。というより、そもそも袁紹は陳宮の招きを受けなかったと考えられるのです。たしかに、曹操と袁紹は表面上仲良くしていてもお互いに「邪魔だな…」と心の奥底で思っていたかもしれません。

 

しかし、袁紹と曹操には袁術という共通の敵がいたことから、わざわざ仲間割れして袁術に隙を与えるようなことは決してしなかったと思われます。

 

苛ついている曹操

 

ただ、もし万が一袁紹が曹操を裏切ったとしても、曹操が怒り狂って兗州を取り返しにかかればあっという間に奪い返されていたことでしょう。

 

曹操に気に入られ出世する梁習

 

おそらく曹操は利害が一致する呂布や袁術を味方につけて袁紹を襲ったでしょうから。彼らは主従関係にあるわけではなかったので簡単にくっついたり離れたりします。そのあたりを理解していたからこそ陳宮の選択肢は呂布しかなかったのでしょう。

 

怒る陳宮

 

しかし、その頼みの綱の呂布も陳宮の言うことをあまり聞いてくれず…。陳宮の曹操を兗州から追い出すという夢は土台無理な話だったのかもしれません。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

陳宮はなぜ曹操に反逆したのか?

 

その謎が解ければ、陳宮の真の考えが明らかになることでしょう。しかし、彼が呂布を選んだのはその当時としては最良の選択だったに違いありません。ただ、呂布をうまくコントロールできなかっただけです。

 

いやはや、意思のある人を思い通りに操るのは難しいというか、絶対にできないことなのでしょうね。

 

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呂布

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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